朝から喉の調子が悪い。

 

しかし今日はアマゾン便が届く日。

しかもわずか4品の注文なのに、

2手に分かれての配達。

長く待つことが予想された。

 

届くまで寝れない。

ツイテナイ。

 

チャイムがよく聴こえるように、

いつもとおなじく、

インターホンのわきの椅子に坐って、

まだ読了にははるか遠い、

『陶淵明全詩文集』

 (林田愼之助訳注/ちくま学芸文庫/2022)

を読みながら到着を待った。

 

この本は適当に開いたページを読むことにしている。

1作品読み終えても続けて次の作品は読まない。

また適当に別のページを開く。

 

小説のように筋があるわけではないので、

どこから読んでも問題はない。

開いたページの作品が、

そのときの天からの贈り物。

 

 

日入羣動息 日入りて郡動(ぐんどう)息(や)み、

歸鳥趨林鳴 帰鳥(きちょう)   林に趨(おもむ)いて鳴く。

嘯傲東軒下 嘯傲(しゅごう)す 東軒(とうけん)の下(もと)、

聊復得此生 聊(いささ)か復(ま)た此(こ)の生を得たり。

 

日暮れになるともろもろの物の動きが消えて、

鳥も林のなかのねぐらをめざして鳴きながら帰ってゆく。

わたしはといえば東の軒下で口笛を吹いて、

今日もまた無事に過ごすことができたとくつろいでいる。

 

※「羣動」は昼間いろいろなものが動くこと。

 「嘯傲」は口笛を吹いてくつろぐこと。

 

※引用したのは「飲酒二十首」の「其七」の後半部。

 

 

こういう1日の終わりは申し分ない。

詩を読んで似たような情景が浮かんだ。

 

目の前にミレーの「落穂拾い」のような田園がひろがり、

遠くで野焼きが行われている。

風が運んできたその匂いを嗅ぎながら、

暮れゆく西空を眺めている。

 

そういう体験を1度してみたかった。

 

 

2つの目の小包が届いたのは午後2時過ぎ。

薬を飲んだのに喉の調子が変わらない。

寝袋に入り遅い昼寝をした。

 

寝ても調子は良くならない。

もう1度、風邪薬を飲んで、

茹で卵をつくる。

 

いつものようにお湯を沸かし、

卵を入れて8分ほど茹でる。

黄身が偏らないように、

箸で動かしながら。

 

動かしていて、ふと思った。

これって意味ある?

 

黄身が真ん中に来るようにして、

シンメトリーにする。

どうでも良くない?

 

商品にするのなら、

シンメトリーのほうがいいかも知れない。

 

でも、僕は自分ひとりで食べるだけ。

見た目なんて気にしない。

それに箸で4つに割って食べているけど、

黄身が偏っていて、

黄身だけ、あるいは白身だけ、

口に入っても僕はかまわない。

 

今まで思いつかなかった。

世の常識を鵜呑みにしていることが、

他にもあるはず。

なかなか気づかないけど、

気づいたら、もちろん即座に、

自分流に変えたい。

 

ところで、茹で卵には、

僕は「粟国(あぐに)の塩」をつけている。

もちろん沖縄・粟国島産。

 

この塩が無類に美味しい。

沖縄本島に10年住んだ、

池澤夏樹さんの本で知った。

 

塩本来の味がわからなくなるので、

野菜炒めに振りかけたりはしない。

今のところ茹で卵専用。

 

昔は茹で卵にはクレイジー・ソルト。

それはそれで美味しいけど。