例によってTwitterに載せた写真を、

こちらにも貼っておこう。

柳瀬楓菜選手。

昨日の試合で「PLAYER Of the MATCH」に、

彼女が選ばれたことを祝して載せた。

 

最近、彼女に何かいいことがあると、

Twitterに「祝○○」と書いて、

似顔絵を載せている。

「生きがい」になっているかも。

 

この絵は昨年6月に描いている。

納得はしていない。

というか、納得なんてするはずもない。

 

いちばんの理由は、あまり似てないこと。

彼女の容姿は写真や映像などで観て、

いちおうは理解できているはずなのに、

絵を描くとき参考にする写真の、

その写真ならではの顔つきを、

言わば正直に描いてしまうので、

「彼女らしさ」が表現できないのだ。

 

それは僕にとっては極めてシビアな問題。

1年経った今も、気をつけてはいるけど、

写真の印象は強く、

どうしてもその印象に引きずられてしまって、

その向こうに居る「本当の彼女」に、

到達することができないのだ。

 

情けない話だけど、それが僕の実力。

 

上の絵は、衣服のラフなアウトラインと、

眉や髪の毛の丁寧な表現との差がありすぎて、

それも気に入らない。

 

できればすべてを、

衣服の線のようにラフに描きたいけど、

そうやって描いてサマになるだけの実力も、

今の僕にはまだないのだ。

 

でも、スローガンは「目指せベラスケス!」。

それは変わらない。

 

さらに言えば、

顎から耳にかけての線と、

そのすぐ脇の襟の2本の線が似すぎなこと。

その3本の線の間隔も似すぎなこと。

それも不満。

 

それから背中に流れる髪の毛が平板すぎるのも。

 

頭部をあるていど立体的に表現しているのだから、

それに合わせるべき。

 

しかし、髪の毛全体を、

どのていど立体表現すればいいか。

それもむずかしい問題。

 

衣服や顔の平面的表現と、

どうバランスを取ればいいか。

今も解決していない。

 

師匠・山藤章二さんのように、

髪の毛を「ベタ塗り」にしてしまえば、

それで簡単に解決するわけだけど、

僕はそうはしたくないのだ。

 

師匠の真後ろを付いて行くのではなく、

苦しくても、

愚行だと思われようとも、

我が道を行く。

それが僕という人間。

 

気に入らないところの多い絵を、

なぜ公開するのかというと、

僕の中に「公開可・不可」を分けるラインがあって、

そのラインを上まわっているから。

それ以上、説明できない。

 

いや、説明できないことはない。

 

こないだから話題にしているけど、

描いているとき、「創造の神」が、

僕に乗り移った絵は公開できるということだ。

 

つまり、そのときの僕の実力を、

超えた絵であるか、そうじゃないか、

それが可・不可を分けるラインということ。

 

 

何となく書き始めたら、

いつのまにかノルマの1,000字を超えてしまった。

終わりにしよう。