さようなら、大江健三郎さん。

 

上の言葉と似顔絵をTwitterで公開した。

 

絵は2020年の夏に描いている。

ちょうど似顔絵を描き始めたころ。

普通にデッサンして、うまくいかなくて、

ボカして、少し線を添えている。

 

大江健三郎さんの絵は他にもあるけど、

文章を何度も書き直して完成に持っていった、

彼との別れにふさわしいと思い、

おなじように苦労して仕上げた、

いや、何とか見れる状態にまで近づけた、

この絵を選んだ。

 

沈んだ調子なのも、

選んだ理由。

 

 

僕は知りたくない事実を夕方ネットで知った。

午後、『パリの手記』『ゼロからの「資本論」』を少しずつ読み、

1枚絵を描いて、夕食をつくる前に、

iPadminiを立ち上げてすぐに。

 

来る日が来た、と思った。

高齢なので、いつ来てもおかしくない、

と思ってはいたけど、

見出しを目にしたときは、

やはりショックだった。

 

高校生になりたての頃だったか、

「早熟」のクラスメイトに、

その存在を教えてもらってから、

大江さんのことはずっと気にしてきた。

 

僕より歳が上で、

気になる存在であり続けた人は、

他に、柄谷行人さん、藤原新也さん、池澤夏樹さん、

がいるけど、

早く生まれ、学生デビューの、

大江さんが当然、期間も長い。

 

読売の記事に、大江さんの、

〈真面目な読者とは、「読みなおすこと」

 をする読者のこと〉

という言葉が紹介されている。

知らなかったけど、心に刺さる言葉だ。

 

いま読んでいる『パリの手記』の、

次に読むことにしている、

ロレンス・ダレルの『アレクサンドリア四重奏』を読み終えて、

まだ元気が残っていれば、

これまでで強い衝撃を受けた何冊かの本を、

読みなおすのもいいかも、と思った。

 

大江さんの印象的な言葉で、

今すぐに思い浮かぶのは、

「芸術の習慣(habit of art)」。

 

その言葉は、

『人生の習慣(ハビット)』(岩波書店/1992)

に収められた講演記録、

「小説の知恵」(1991)の中に出てくる。

 

簡単に説明すると、

むずかしい小説を書いていて、

うまく行く気がしないけど、

何とか書き進めていくと、

なぜかうまく行くことがある。

その要因が「芸術の習慣」。

 

つまり芸術家にとって、

意識的・無意識的、両方のもので成り立つ「習慣」を、

経験を通して養っていくことが重要、

という話。

 

 

僕は大江健三郎さんの講演を、

1度聴きに行ったことがある。

 

いま調べてみると、

2007年12月10日(月)19:00〜20:30。

場所は紀伊國屋ホール。

そのとき大江さんは、

くしくも今の僕とおなじ72歳(僕はあと半年で)。

 

そのときの講演内容をメモした、

ノートが残っている。

 

清書してないのでわかりにくいけど、

英文学者の深瀬基寛(1895〜1966)や、

ウェールズの詩人ディラン・トマス(1914〜53)についての、

話が多く語られた模様。

 

何ひとつ記憶にない。

 

覚えているのは、

ジョークを織り交ぜながら話を進めていく、

大江さんの話のうまさ。

 

僕は何人かの好きな芸術家・言論人の、

話を聴きに行ったことがあるけど、

大江さんは別格。

上記の3人も真面目に話すだけ。

 

 

ショック状態が続くなか、

思いつくままに書いてきた。

 

最後にもうひとつ。

 

僕は半世紀前の三島由紀夫の自死で受けたショックも、

たぶんまだ引きずっていると思う。

今日のショックも生きているあいだ、

引きずるに違いない。