『パリの手記』は変わらず読書継続中。

毎日すこしずつ読みすすめている。

 

辻邦生が横浜港を発ったのが1957年9月。

今日、1960年1月末まで読んだけど、

1月4日に大きな出来事が起きている。

 

カミュの死だ。

 

カミュ(1913.11.7〜1960.1.4)は、

南仏のルールマラン(Lourmarin)、

という町に自宅があって、

友人の車でパリに向かう途中、

ヴィルブルヴァン(Villeblevin)という町で、

木にぶつかる事故のため即死。

運転していた友人も、

その後病院で亡くなっている。

 

ヴィルブルヴァンはフォンテーヌブローの、

約30km東方。

 

カミュハ人間存在ノ不条理ニツイテ語ッタ作家デアッタ。

 自動車事故デ死ヌトハ、何トイウ不条理ナ運命ナノダロウ〉

 

ラジオでニュースを聴いた辻邦生は、

最初〈悪イ冗談デカラカワレテイルヨウナ気ガシタ〉そうだけど、

そのあと上のような感想を述べている。

 

何トイウ凡庸ナ感想ナノダロウと思った。

 

しかし反射的にそう思ったけど、

やがてそうじゃなくて、

衝撃の度合いが強いと、

文学的才能に恵まれていても、

そのようなありふれた感想しか、

咄嗟には思い浮かばないのかも、

という気がしてきた。

 

それに『パリの手記』は、

メモをそのまま本にしているので、

「文学」という認識のもとに書かれてないし、

文学的でなくても何も不思議はない。

 

 

カミュの名前が出たので、

彼の著書を書棚から抜き出してきた。

 

どの本もたくさんの傍線が引いてある。

しかし読み返してみても、

いまの僕に響く言葉は少ない。

 

当然だ。

いまの僕はこないだ書いたように、

死に向かってフェードアウトするのではなく、

「青春」をもう1度生きようとしているのだけど、

もちろん本物の青春ではない。

 

本物の時代に感心した言葉が、

いまの僕を鼓舞するはずもない。

 

たとえば次のような言葉。

すでに噛みくだいて消化しているので、

もはや衝撃は受けない。

 

〈道を邪魔するものは、道を開いてくれる〉

 (『太陽の讃歌 カミュの手帖ー1』/高畠正明訳/新潮文庫/1974)

 

〈ニーチェ。ーー決定的なものはすべて、《是が非でも》

 の上にしか打ち樹てられない〉

 (『反抗の論理 カミュの手帖ー2』/高畠正明訳/新潮社/1965)

 

『1』と『2』を単行本で揃えてない理由は思い出せない。

 

響く言葉がひとつあった。

 

〈ぼくが感じているすべてを書くこと。

 行き当りばったりに、小さなことまで〉(『手帖ー2』)

 

これはこのブログのためにある言葉。

感じたすべてを、

オオヤケにする意味のないことは、

もちろん別にして、

思いつくままに、出たとこ勝負で、

自分の中で閉じることなく、

外に向かって開かれた文章を書きたい。

いつもそう思っている。

 

しかし「開かれた文章」が僕にはむずかしいのだ。

頭の悪さ・文才の欠如というほかないけど、

何にせよ僕にとって大きな課題。

 

ま、でも、上の言葉にあるように、

邪魔するものこそ道を開いてくれる。

希望は持ち続けていたい。