森保一監督。
代表チームは帰国したようだ。
「感動をありがとう」
なんてことは僕は言わない。
そういうことを言う人たちと、
できるだけ関わらないようにして生きてきた。
関わるとロクなことはない。
何とも鬱陶しい人たち。
しかしそういう生きかたをしたせいで、
僕の人生は「窮屈」になった。
世間から見れば「余計者」。
とはいえ僕が師と仰ぐ人は、
みんな「窮屈」に生きている。
たとえばセザンヌ。
だからちっともかまわない。
上の絵は先月描いた。
最新作のひとつ。
顎や首のアウトラインと洋服の線を、
これまでずっと意識して似せてきたけど、
変化をつけたほうがいいかも知れない。
それも次の課題のひとつ。
課題にキリはない。
いくら解決しても次々に現れる。
悩みっぱなし。
長野の公園が、
たった1人の苦情によって、
閉鎖されるという報道が気になって、
いくつか記事を読み、
GoogleEarthでその公園を見てみた。
ただ子供の声がうるさいというだけでなく、
公園を作るときの市側の、
近隣住民への説明が不十分だったことや、
出来てからの御座なりの対応なども、
苦情の要因となっている模様。
あと公園周辺は、
隣接する幼稚園や小学校へ、
子供を送迎する車で渋滞する時間帯もあるようで、
苦情主はそのことにも不満を持っていたのでは、
という指摘もある。
部外者が安易に意見を言えないように思った。
苦情主はほぼ特定されているようだけど、
それはさておき、
僕が苦情主だったら、という仮定は、
この場合は成り立たない。
僕が自分の家を建てることはあり得ないから。
言えるのは、僕も騒音が苦手なので、
もしかりに自分のアパートの隣に公園ができて、
毎日子供たちの声が聞こえるようになったら、
いちいち苦情の電話などは入れず、
引っ越すはず、ということだけ。
その昔、江川卓さんと黒澤久雄さんと羽川豊さんが、
横浜に並べて建てた自宅を生徒が知っているというので、
案内してもらったことがあるけど、
その3軒の豪邸は何とテニスコートの真ん前。
もちろん防音はしっかりしているのだろうけど、
僕はとても住めないと思った。
僕はそのくらい騒音が苦手。
いま僕の部屋はじつに静か。
ふだん外の音を耳にすることはまずない。
窓を開けていると気持ちいい季節に、
雨戸がわりのシャッターを開け閉めする音や、
路上で遊ぶ子供たちの、
喚声やスケートボードの音がたまに聞こえるだけ。
窓を閉めるとすべて遮断される。
こういう環境じゃなかったら、
僕はとても住んでいられない。
最近は町から音や匂いが消えた、
と言ったのは永六輔さんだったか。
昔は子供たちの声はもとより、
テレビ・ラジオの音も外に漏れたし、
井戸端会議の話し声や薪割りの音、
魚を焼く匂い、味噌汁の匂いも、
路地にあふれた。
しかし音も匂いも無くなり、
「路地の一体感」も無くなって、
僕には生きやすい時代になった。