東京スカイツリーは、2012年の2月に完成し、
5月に開業している。
その前後の時期、永井荷風を集中的に読んでいて、
その影響で、その周辺をよく徘徊した。
1936年(昭11)に書かれた『濹東綺譚』の世界が、
今もそのままのはずはないが、
その周辺の、隅田川にまたがる区域の、
下町の雰囲気に少しでも馴染みたいと思った。
たいていは、京成や総武線のどこかの駅で降り、
スカイツリーを目指して歩いた。
東西線東陽町駅から富岡八幡宮経由の、
長時間散歩をしたこともある。
岩波文庫版『濹東綺譚』では、2ページ目から、
浅草公園を始め、そのあたりの町名や橋の名が出てくる。
そういった町や橋を訪れると、
ミーハーゆえに、ささやかな満足感を覚えた。
言問橋は、こまどり姉妹の「浅草姉妹」でも歌われていて、
子供の頃からその名を知っていたので、
初めて渡ったときは、ちょっと感激。
荷風先生は『濹東綺譚』に、
〈謹厳な人たちからは年少の頃から見限られた身である〉
と記しているが、生来の異端児であり、
唯我独尊で、ひねくれたところなどなどに、親しみを感じている。
とはいえ、身近にいてほしい人ではないけど。
毎年、どこかの名所で見ていた桜も、
その年は、そちらに見に行った。
浅草公園も、隅田川の土手も、見事に咲き誇っていたが、
薄暮の時間帯、花見客を乗せた屋形船がたくさん集まってきて、
その眺めが圧巻だった。
浮世絵の世界のようで、江戸時代にタイムスリップ、とまではいかないが、
不思議な感覚にとらわれた。
あるとき、隅田川の浅草側の土手を歩いていると、
浅草公園の近くに、仮設の歌舞伎の芝居小屋が建っていた。
人だかりがしていたので近づいてみると、
中にひとり、和服を着た美男子がいた。
薄化粧もしていて、明らかにその世界の人という印象。
以前、大学の先輩の個展で遭遇した、
岩井半四郎(1927〜2011)さんと、佇まいがそっくりだった。
まさに、この世ならぬ美貌の色男。
これまた不思議な感覚にとらわれた。
吉原にも行ってみた。
キョロキョロしながら歩いていると、
真っ昼間なのに、
黒服を着たハンサムな客引きが近寄ってきて、
二言三言、営業用の言葉をささやいた。
いまカネがないので、と断ったのだが、
持ち合わせがあっても断っただろう。
もうその頃は、その世界を“勉強”したいとは思わなくなっていた。
白鬚橋のたもとでスカイツリーの写真を撮っていると、
年配の男性が、写真を撮るならこっちだよ、と言って、
橋上のポイントに案内してくれた。
確かにそこは、構図的に文句ないポイントだったが、
美術をカジった人間としては、
そういうところで撮っても面白くないので、
お礼を言って、1枚だけ撮って、別の場所に移動した。
そんなこともあった。
あのあたりは、歩き尽くした感がある。
スカイツリーに上れば、
わが濹東濹西散歩はひとまず完結するだろうが、
高所恐怖症なので、そうはいかない。
人生は中途半端なものばかりが積み重なっていく。
自分だけか。