自分が通った幼稚園、ではなくて保育所は、
近所の寺の境内にあった。
経営はもちろんその寺。
毎朝、山門をくぐり、教室で勉強して、
本堂の前庭で遊んだ。
居心地が悪かったという記憶はない。
しかし、寺じたいに関心はなかった。
たまに本堂に上がることがあったが、
暗い非日常空間にも、おごそかな仏壇にも、興味は湧かなかった。
神社、教会に関してもおなじ。
嫌いではなかったが、好きという範疇には入らなかった。
初詣にしても、中学受験を控えた正月に、
とりあえずお願いをしておこうかと、
地元の神社に、父親と2人で赴いたのが最初だった。
ちなみに、テキトーな願掛けが災いしたのか、
実力のたまものか、
本命の公立中学に落っこってしまった。
その後、京都・奈良の寺社をめぐる大学の研修旅行を始め、
宗教関連のもろもろと触れ合う機会は増えたが、
ずっと川向こうの世界を遠望するような気持ちだった。
そしてその気持ちは、いまも変わらない。
そんな具合だから、成田山新勝寺にしても、
香取神宮・鹿島神宮にしても、
その存在を知ったのは、遠い昔のことではない。
その3つの有名な寺社には、千葉に越してから、
いちおう足を運んでみた。
鹿島神宮の巨木の居並ぶ森が気に入っている。
あの特別な空間には、たまに身を置きたくなる。
鹿島神宮を初めて訪ねたときは、
ちょうど七五三の時期。
大きく日の傾いた時間帯だったが、
境内には何組かの家族連れがいた。
そういった家族連れも、自分からすれば、
川向こうの世界の人たちだ。
自分は、彼らとおなじ幸せを味わえる人間ではない。
その確信のもとに、ずっと生きてきた。
1度、鹿島神宮の森を抜けて、
サッカースタジアムまで歩いたことがある。
ちょうどJリーグの試合の日で、
周辺にはファンがあふれていた。
僻地と言ってもいいような場所に、
天から舞い降りたような、とんでもなく豪華なスタジアム。
かつてよくカープを応援しに行った各地の野球場も、
ベッケンバウアーを見に行った旧国立競技場も、
いずれも、はるかに繁華なエリアに建っているし、
異世界を覗いているような気がした。
仕事で鹿島市役所に行ったことがある。
中に入ると、8割がたの職員が、
アントラーズの赤いユニフォームを着ていた。
千葉の区役所でも、ジェフやマリーンズのユニフォームを着ている職員を、
たまに見かけることがあるが、次元がちがう。
しかし考えてみれば、地方の小さな市をホームとしながら、
つねに優勝候補に挙げられ、
存在感を示し続ける、天下の強豪アントラーズ。
市民がいくら熱くなっても不思議はない。
東北の地震のとき、鹿島神宮の入口の大鳥居が倒壊した。
ニュースを聞いて、その光景を見たくて駆けつけた。
やはり、あるべき場所にあるべきものがないと、
間抜けな印象しかない。
それから3年して、大鳥居は復活。
その姿も見たくなって、また足を運んだ。
どこか雰囲気が違うと思ったら、
以前の石ではなく木で再建されていた。
いずれにせよ、あるべきものが蘇って、ひと安心した。
自分は、あの豊かな森さえあればいいと思っていたが、
そうではなかった。