いまはエアコンがあるので、
若い人は、あまり実感がないかも知れない。
あるいは、まったく知らないということも。
瀬戸内の夕凪はヘビーな現象だった。
広島の夏は暑い。
夏の盛りは炎天が続き、
昼下がりの太陽は、道路のアスファルトを溶かした。
子供たちはみんな水着になって川に向かった。
暑すぎて、水に浸かるしかなかった。
学校にプールはなく、海辺は工業地帯、
選択肢はひとつだけだった。
自宅の近くに、農業用水を確保するための堰があって、
そこは川の流れが堰き止められてプールのようになっていて、
みんなそこで泳いだ。
そこで泳いでいれば、安全だった。
しかし、川の流れに立ち向かう勇敢な子供もいた。
浅くて、流れもゆるやかな川だが、
蛇行もしているし、川底に足が届かないところもあるし、
急に流れが速くなっているところもある。
毎年、溺れて亡くなる子供がいた。
死者が出ても、川で泳ぐことは禁止されなかった。
いい時代だった。
日盛りが過ぎて帰宅すると、
家の中は熱気が充満していて、汗が体じゅうから吹き出た。
まさに天国から地獄。
母親にうながされ、1人で銭湯に行った。
ふたたび帰宅して夜のとばりが下りはじめると、
魔の時間帯になった。
扇風機も無力だった。
せっかく銭湯で汗を流したのに、
体はまたしても汗にまみれ、熱を帯び、食欲も湧かなかった。
火照った体のままでは、もちろん眠れもしない。
凪が終わると土手に出た。
夕涼みではなく、夜涼みだ。
昼間の海風に代わって、川上から、
冷たくはないが、生ぬるくもない陸風が休みなく吹いてくる。
1時間も風を受けていると、嘘のように体が冷えて、
心地よく眠ることができた。
夜空を見上げていると、1時間のあいだに、
いつもたくさんの星が流れた。
なかには、天頂から山の端ちかくまで、
長く尾を引く星もあった。
流れない星も空いっぱいに散りばめられていた。
その神秘的な光景に惹かれた。
そして、地球も自分も、とても小さく感じた。
そのときの感覚が、その後の自分をずっと支配してきた。
人間社会の何もかもを鬱陶しく思い、
何もかもに辟易しつつ、ほそぼそと生きてきた。