ちょっと前の宮迫博之氏のYouTubeチャンネルに、

長崎ロケシリーズがアップされていて、

そのハイライトが軍艦島上陸編だった。

 

若い頃から軍艦島に憧れていたという宮迫氏の、

上陸を果たして感極まった様子がよく伝わってきたが、

考えてみれば宮迫氏が生まれたのが1970年、

端島炭鉱閉山が1974年、

彼はすでに廃墟となった軍艦島の景観に惹かれたのだろう。

 

自分の場合は、軍艦島に最初は憧れをいだき、

その後も関心を持ち続けてきた、というふうに言えるのだが、

自分が子供の頃は端島炭鉱の最盛期で、

最初はまず、あの鉄筋コンクリートの高層アパートの生活に、

何より心を奪われたのである。

 

当時の自分をとりまく状況からすると、

あまりに未来的すぎて非現実感も当然ながら伴ったが、

とにかく、その夢のような生活の魅力に取り憑かれたのだった。

 

そして閉山になってからは、

その抜け殻となった姿を何かで見るたび、あるいは想像するたびに、

あの全盛時代の古きよき日々が思い出され、

軍艦島が、言ってみれば、極めていとしい存在であることが、

そのつど認識されるのである。

 

しかし、いとしい存在は軍艦島だけではない。

この国の炭鉱すべてがおなじようにいとしいと言ってもいい。

 

より正確には、炭鉱というよりも、

坑夫の人たちへのいとしさ、と言ったほうがいいだろう。

いや、炭鉱だけではない。

石炭以外を産出する鉱山も同様である。

 

つまり、この国の最前線とも言える、

しかし危険極まりない、

繰り返し落盤事故の起きる現場で働いていた、

そして新しいエネルギーの時代が到来すると、

あるいは鉱脈が尽きてしまうと、

あっさり見捨てられてしまった、

無数の坑夫たちをいとしく思うのである。

 

自分の身内に、あるいは知り合いに、

坑夫をしていた人はいない。

しかし自分はうんと若い頃から、

なぜか坑夫たちへの思い入れが深い。

 

夏目漱石の『坑夫』を読んで、

その舞台と言われる足尾銅山に車を走らせてから、

もう10数年が経つ。

 

桐生までは晴天だったのに、

山に入ると、俄然雲行きが怪しくなり、

銅山に着くと、激しい雨が降り出した。

 

車を降りて、雨にけぶる製錬所の廃墟を眺めながら、

許されざる鉱毒事件のことを思い浮かべた。

そしてやはり、坑夫たちをいとしく思った。