ジョン・コンスタブル(1776〜1837)をいつ知ったのか、
まるで記憶にない。
受験生時代か大学生になってからか、
いずれにしても、20歳前後のこととは思うけど。
第1印象がよかったことだけは覚えている。
そのみずみずしい画面は、
それまで観たことのなかった種類の美で、
きわめて印象的だった。
もし自分が絵描き志望なら、
コンスタブルの世界にのめり込む時期が、
おそらくあったに違いない。
しかし自分はデザイン系の受験生だったし、
絵を学んでいく初期の過程から、
受験に直結する印象派以降の画家にしか目が向かなかった。
いま思えば不思議な話だけど。
大学に入ってからも、自分なりにではあるが、
絵画への関心が薄れることはなかった。
いちばん注目したのは、いわゆる抽象絵画。
なかでもカンディンスキーの描く図形に憧れ、
その表現を成立させている秘密を学ぼうと、
手持ちのわずかな資料を、繰り返し模写したりした。
ある時は、レリーフにすると何かつかめるかもと思い、
狭い下宿で、いくつかの図形を真似て油粘土で造形し、
石膏取りまでしてみた。
もちろん秘密はやすやすとは開示されなかった。
その後、絵画と関係のある仕事に長く携わってきたが、
コンスタブルもカンディンスキーも、
芸術は奥深い、とは言うものの、
まだ一定の理解でとどまっているに違いない。
芸術を極めようとする人たちには、いつも敬意をいだいてきた。
しかし自分の、言ってみればチャランポランな性格では、
その仲間に加わるのは、どだい無理な相談というほかなかった。
自分がこれまでに、じかに観て圧倒された絵画は、
ルーブルのダ・ヴィンチの作品群、なかでも「モナ・リザ」、
プラドのベラスケスの「ラス・メニーナス」、
イギリスではテート・ギャラリーのターナーの作品群。
以上が、とりあえずビッグ3になろうか。
もう長いこと絵筆を手にすることはなかったが、
いまは、少しその気になっている。
そしていま、3年前に真鶴の個人美術館で観た、
中川一政の奔放さが、ずっと忘れられずにいる。
まあ、おそらく自分には不可能だろうが、
あんなふうに、絵画の約束事などまるで気にしないで、
表現してみたいという願望だけは、ずっと持ち続けている。