タルホ先生は、先日触れた『タルホフラグメント』の中で、

〈庶民的なものはだめなんだ〉と述べている。

 

よくわかっているつもりだ。

それから、そのあとに記されている、

骨董品・食い物・旅行・風景などについて、

あれこれ話すのもよろしくない、ということも。

 

しかし、子供の頃からカープに心を奪われた庶民、

言ってみれば、俗物としては、

タルホダンディズムに憧れつつも、

一生かかっても、

結局憧れたその精神を完璧に身につけることはできなかった。

人間としての資質のちがい、と言ってしまえばそれまでだが、

自分としては、おのれの愚かさゆえ、と情けなく思っている。

 

おのれの愚かさは、若い頃から何度も何度も直面してきた。

強く認識したのは、美大受験生の頃が始まりだったかも知れない。

絵に関して、何かひとつ、それまでわからなかったことを理解したとき、

猛烈に愚かさを感じた。

理解したあとは、難題も容易に思える。

こんな簡単なことが、なぜもっと早く理解できなかったんだろう。

そのたびに自己嫌悪に陥った。

 

考えてみれば、わが人生はそんな体験の無数の連なりだった。

もちろん今日も、このブログを書いていて、文章力の無さに、

強烈な自己嫌悪に陥っている。