吉本隆明著『僕ならこう考える』(青春出版社97年刊)

という本を、処分する前にパラパラとめくっていると、

死についての話が最後のほうに出てきた。

 

前年、西伊豆の海で溺死しそうになった著者は、その経験から、

〈自分の死というのは(中略)ちっとも苦しくなかったし、なんでもないから〉

と述べている。

〈そのかわり、臨死体験もないし(中略)ただ意識がなくなって

いなくなっちゃうというだけだ〉

 

ちょっと事情は違うかも知れないが、

自分も去年の癌手術の際、おなじようなことを思った。

つまり手術の前に、麻酔薬が点滴によって注入されるわけだが、

注入が始まると、あっという間に意識がなくなってしまい、

手術が終わって目覚めた時、

何か問題が起きて、あのまま死んでいた可能性だってあるわけだし、

死んでいたとしたら、

〈ちっとも苦しくなかったし、なんでもな〉かったし、

そして、それならそれでもよかった、

と思ったのである。

 

ちなみに、それでもよかったという、

言ってみれば達観した、あるいは投げやりな気持ちは、

先生方の真剣に治療してくれる姿を目の当たりにしたり、

友人や職場の人たちの応援を受けたりしたことで、

最後の力を振り絞って、もう一度わが身を鞭打ってみよう、

という真反対の方向に程なく変わっていったのだけど。

 

吉本氏は上記のくだりに続くページで、

高村光太郎の「死ねば死にきり。/自然は水際立ってゐる。」、

すなわち〈死んだら何もない。もちろん来世もない〉、

〈自然はさっぱりしてる、みごとなもんじゃないか〉、

という言葉がものすごく好きだとも述べている。

 

自分も納得のいく言葉だし、

その簡潔な表現が気に入ったので、

〈注〉に記されている「夏書十題」という出典を探してみると、

処分する本をまとめた山の中に埋もれていた、

『日本詩人全集9 高村光太郎』(新潮社66年刊)に載っていた。

 

「死ねば死にきり。」に続く一節もストレートで、

「生きよ、生きよ、生えきぬいて死ね。/そのさきは無い、無いからいい。」

 

吉本氏の本もこの本も処分しにくくなった。