山中 透デザイン変電所

山中 透デザイン変電所

鉄塔や変電所に魅せられたデザイナー山中 透が
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かつてエレベーターのボタンはエレベーターガールに仕切られていて、シロウトの押せぬ禁断のボタンだったということは平成生まれの人にはなかなか想像し難いことだろう。

今ではボタンの近くに乗り込んだ人が、にわか「エレベーターおじさん」などと化し絶妙のタイミングで「開閉ボタン」を押したり同乗者の階数リクエストに応じることになってしまった。
その際にどうも「開閉ボタン」がわかりづらい。という話を知人やプロダクト・デザイナーから聞いたことがある。







ご存知のように三角形が背中合わせに外側を向くか、内側を向くかというデザインである。

冷静なときでもちょっと迷ってしまうくらいだから、同乗者がいたり急いでいるときにはよけいにどちらが「開く」でどちらが「閉る」なのか咄嗟に判断できなくなるという可能性がある。
 
単純に三角形が外を向いている[ボタン開A・B]は「動作の方向性」として「開く」というサインになる。

[ボタン閉A・B]に関しては「動作の方向性」は「内へ」だけれども、一点透視図法的には「外へ」向かった開放的なイメージがあり、それが「開」ボタンと混同される要因なのではないかと考えられる。

「開」の方が閉鎖的で「閉」の方が開放的な逆転現象が生じているわけだ。

ちなみに外人にはわからぬ「開」と「閉」漢字のボタンに関しても「門構え」が共通なため、かなり紛らわしい。「開」の方がどちらかというと開放的であるといえなくもないが。






そこで私は以下のようなボタンを提案してみたい。








従来の[ボタン開閉A・B]は扉をどちらへ移動させたいかという「方向」と「動作」を指示している。
どちらかというと論理的な記号と言えるのではないか。

対して[ボタン開閉C]はボタンを押した「結果」や「状態」を示していて、より直感的な記号になっていると思う。
扉を「どちらへ移動させたいか」ではなくて「どのような状態にしたいか」という指示記号になる。
 
開閉の意味を強化するために「光」情報も加えてみる。





廊下を示す水平線を加える。




これで、もう迷う人はいなくなるのではないだろうか。

もちろん[ボタン開閉C~E]は三角ボタンに比べて認知度がまったくないため、大半の人は最初この2つが何を意味するボタンかわからないだろうという懸念がある。
開閉ボタンとして周知徹底されるまで補足記号が必要になるかも知れない。








など。他にはシールで「開・閉」をボタンの下に貼るというベタな対応もあるけれど要素が増えてデザイン的にどんどん劣化しているのは否めない。

[ボタン開閉F]に関しては同様のボタンはすでに見かけるし、外人にも理解できるように和英併記した[ボタン開閉G]は文字ボタンへ先祖還りしている。
ユーザーの経験値が高まるにつれてより「開閉」ボタンとしての認知度や利便性が高まれば他の要素は必要なくなると思われるのだが。
 
人間心理は不思議だから[ボタン開C]の開放的な状態を「希望する状態」ではなく「今の状態」を表わすものと認識し、「今は開いているのだから、閉めるためには今の状態つまり『開く』を押さなくてはならない」と曲解して[ボタン開C]を押す人がいないとも限らない。

どのボタンがいちばん強く「開く」「閉る」を認識できるかという、多数のモニターによる調査が必要になるだろう。
その際には新提案のシンプルな[ボタン開閉C~E]が最も多くの人に開閉ボタンとして認知されることを期待している。








前回の記述で「鉄塔武蔵野線」に関して「父親も変電所関係者では」と書いたが、すぐ直後に少年によって父親が鉄塔に何の関心もない旨が書かれていた。訂正させていただく。



私は鉄塔だけでなく道路標識の収集もしている。もちろん写真で。







三叉路とか五叉路には一方通行の道が指定されることが多く、その際に矢印標識が設置される。

矢印標識の魅力などについてはまだまだ語りたいことがあるけれど次の機会に譲るとして、なぜか今回は「総理大臣湯呑み」について。

18点の標識をTシャツにレイアウトする際、何点かの標識を削除せざるを得なかった。

1本矢印の標識は基本として載せたいし、この矢印は面白いし…と選別するうち、不覚にも「総理湯呑み」を思い出してしまった。
総理大臣がずらずらと並んだ大きな湯飲みを寿司屋などで見かけたことはないだろうか。







伊藤博文から始まって2選を果たした安倍晋三までの似顔絵が描かれている。
暗殺や処刑に倒れた総理。ノーベル賞の人からよっしゃよっしゃの人など、日本の近・現代史が浮かび上がってきていろいろと感慨深い。

現職の安倍総理以降は空白になっていて、次の総理が入れられるようになっている。
なお、前回は手描きだった安倍さんだが今回はあきらかに写真ベースになっている。






眺めながらふと思ってしまうのだった。もしこの湯呑みが総理の顔で埋め尽くされたら次はどうするのだろう?
ネットの写真で数えたところあと17人で満席となる。
17人といえば30年以上は先だろう。
満席になった際は一回り小さくして縦一列を5人から6人にするのだろうか。

この湯呑みをを置く寿司屋は最新の湯呑みを常備するために、かなりの頻度で買い替えなければならなかったはずだ。
特に第一次安倍内閣のあとは総理が7年で7人変わるという体たらくだから、更新頻度は過去最高だったのではないか。
一店舗で何個の湯呑みを替えるのかは知らないが、一年ごとに更新するのはけっこうな負担だろう。古くなった湯呑みは常連客に配ったりしたのだろうか。

この湯呑みが成立するためにはある程度歴代人数が揃わなくてはならない。20人程度は欲しいところだ。ということは昭和もかなり経てから誕生したに違いない。
と思って他の湯呑みを見ていたら徳川十五代将軍の湯呑みなんてものもあった。

そういうことならジオン軍モビルスーツ湯呑みなんてウケるんじゃないかな。

再選した安倍さんはかなり久しぶりらしいのだが、過去に再選総理がどれくらいいるのかと調べてみた。
連続して再選した人は除き期間をおいて再選した人に限定する。

 伊藤博文  4回
 山縣有朋  2回
 松方正義  2回
 大隈重信  2回
 桂太郎   3回
 西園寺公望 2回
 山本権兵衛 2回
 若槻禮次郎 2回
 近衛文麿  2回 
 吉田茂   2回 連続政権を入れれば5期という史上最も任命回数の多い総理


  
自分でも手に入れていろいろと感慨深く眺めつつお茶を飲みたいものだが、数年で古びてしまうというのが問題かな。





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この鉄塔ブログを始めてから「鉄塔武蔵野線」(銀林みのる)を再読している。

鉄塔だけがテーマという不思議な小説だという印象は再読してももちろん変わらない。
ただ、この人は単なる鉄塔マニアではなく電源・発電関連の専門家ではないかという印象を抱いた。
小説の全体的な雰囲気は鉄塔好きの少年が未知の世界へ参入するというものだが、この少年の記述や描写が物語冒頭から詳しすぎるのである。


引留鉄塔には表示板の類が全然なく、徹底して無愛想なのでした。柱材は等辺山型鋼ではなく、鋼管が使用されています。脚柱に自らの電線を連繋する片持ち梁があるのも奇抜なら、碍子連の装置配列も独特でした。P16


この記述が小説では小学5年生の設定であるということを心に留めていただきたい。

主人公の少年が週に1回父親と電車に乗って鉄塔を眺め、また終点から戻ってくるという体験もけっこう異常だ。
鉄塔に対して並々ならぬ興味を示す我が子に対して「そのような趣味はいかがなものか」と問いたださない父親の立場も奇異だ。
父親も同様に鉄塔好きであり、ひょっとして電源関連従業者なのではないかと推測される。

この件に関してはいずれ小説で描写されるのかも知れない。
初読の記憶がほとんど欠如しているため、読み進むにつれて考察してみたいと思う。

小説中の少年のように、鉄塔の下に入って上を眺めるという行為を私も体験してきた。
住宅街においては鉄塔の周囲はフェンスで囲まれ、鉄塔直下に行くことはできない。
武蔵野線の少年は鉄塔直下の領域を「結界」と称している。
柵で囲まれて入れない状態も結界ならば、入れたとして鉄骨で四隅を囲まれた状況も結界である。
電磁波とか侵入に対する禁忌などによって確かにあの空間には結界と呼ぶに相応しい雰囲気が漂っている。

世界の果ての、そのまた果ての祝福された片隅

といった静かな雰囲気が。

今でこそ「結界」という言葉は陰陽師だのアニメ・コミックで普遍的なものになったが、あの当時は私にとって新鮮な言葉だった。

以下はそのような結界から見上げて作成した作品。

錯綜する鉄骨と電線が、入った者どもを磁界で結束し祝福した世界の果て。

CAFE PRESSの鉄塔専門ショップ01
http://www.cafepress.com/steeltower01


CAFE PRESSの鉄塔専門ショップ02
http://www.cafepress.com/steeltower03


CAFE PRESSの鉄塔トリロジーショップ
http://www.cafepress.com/steeltowertrio



結界01


結界02

結界00