改めて調べて驚いた。
朝鮮に帰化したと言われる日本人氏族
- 友鹿金氏・・始祖は、日本の武将とされる沙也可。文禄・慶長の役のときに、加藤清正の先遣隊として朝鮮へ渡るが、投降した。その後、朝鮮軍に加わって豊臣軍と戦い武勲を挙げ、宣祖から金忠善の名と官位、大邱郊外の友鹿里の領地、金海金氏の姓を賜る。・・・と言う事に韓国ではそうなっているが、実は日本側にそのような記録はない上、実際の戦闘状況からも矛盾が多くこの者が日本人かどうかも怪しい。もしかすると、いつものように朝鮮人の脳内ストーリーかもしれない。因みに始祖金忠善の子孫は約200,000人、友鹿金氏を称する子孫は8000人だそうだw
- 咸博金氏・・2000年調査では、4579人。始祖は文禄・慶長の役のとき沙也可と同じく朝鮮に投降した日本兵の金誠仁。
友鹿金氏と同じく朝鮮王宣祖から姓を賜った。・・・とされるが、これも矛盾が多く日本人ですらない可能性高い。
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⇩以下は併合後、または戦後の帰化日本人で、これは正しいかと思われる者である。
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槐山占氏・・2000年調査では、107人である。
日本から帰化した氏族と言うが、始祖の詳細は不明である。
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島間網切氏・・始祖は、日本人の子として生まれながら第二次世界大戦終戦時の混乱の中で外祖父に託され、後に韓国に帰化した網切一郎である。本貫地である「島間」は一郎の祖父の出身地である鹿児島県の島村(南種子町島間(しまま))から得た。
2000年の韓国国勢調査によると、島間網切氏を本貫とする韓国民は1世帯10人である。
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和順松氏・・2000年調査では、4643人。(1985年 二人。)
日本で孤児だった松吉晩と松氏に対して記録がある。松吉晩は幼少時に釜山に住んでいたが、母を探して1946年(松吉晩が18歳の時)に帰還船に乗って釜山に来て、親の姓氏が分からないため、1959年の無戸籍者自進申告の時に、日本で松吉と呼ばれていたので、松吉氏で届け出て、松氏となった。
松氏は歴史が不分明な古代から存在してきた姓で、松吉晩が和順松氏の始祖ではない。松吉晩の本貫も確かではない。
また、自分が日系であることをばれたくなかった多くの松本氏が松氏となった。松吉晩も松本氏だった。
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城津辻氏・・2000年調査では、86人。始祖は、日本統治時代の朝鮮に鉄道職員として朝鮮に派遣された日本人の父と韓国人の母の間に生まれた辻・カンブである。辻・カンブが10代の時の1954年に母に従い帰化した。その時に母の故郷である咸鏡北道金策市を本貫にして城津辻氏を創始した。
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荒木氏・・2015年の統計庁の人口調査で5人が確認された。
荒木氏は、日本の荒木氏に由来した朝鮮の氏族である。主要人物として、荒木治丞がいる。
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藤井氏・・別名葛井氏は、日本の氏族・苗字の一つ。
- 岡田氏 (2000年 51人)
- 武本氏 (2015年発見、2015年 6人)
- 長谷氏 (1909年以後発見推定、2000年 52人)