アメリカ先住民の宗教 | 山中伊知郎の書評ブログ

アメリカ先住民の宗教

アメリカ先住民の宗教 (シリーズ世界の宗教)/青土社
¥価格不明
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 以前、『今日は死ぬのにもってこいの日』を読んでいたりしたのもあって、アメリカ先住民、いわゆる「インディアン」と呼ばれる人たちの死生観や自然観には興味はあった。動植物を含めた自然のすべてには精霊が宿っていて、地上のすべての存在はほぼ対等。人間は多くの点で、地上の生き物の中で最も弱く、最も能力の乏しい存在で、命を保つために大地の恵み深さに依存している・・・・。
 だからこそ、食料として肉や穀物を提供してくれる動物や植物にも、また命をもたらしてくれる太陽や大地にも、日々、感謝の祈りを捧げる。自然と一体となっているから、生も死も、あるがままに受け入れていく。

 何ともうらやましいような生き方ではないか。
 インディアンにも数多くの部族がいるが、この根底にあるものはある程度共通しているという。

 さて、本の後半に、その宗教を徹底的に破壊して、自分たちの価値観を押し付けようとした外部勢力が登場する。いうまでもない、ヨーロッパからやってきた「キリスト教徒」たちだ。ピルグリム・ファーザーズなんてのは、祖国・イギリスで宗教弾圧を受けてアメリカに移住してきたくせに、そのアメリカで、先住民の手助けで生き残れたにもかかわらず、定着後は自分たちが「宗教弾圧」を始めてしまったという。
 先住民なんて野蛮人であり、彼らの宗教なんて「迷信」。正しい宗教である「キリスト教」に改宗させなくてはいけない、と。

 そうやって、万物に精霊が宿るとする先住民の宗教を根絶やしにして、人間優越主義のキリスト教にすべてを変えようとしたわけだ。

 それが20世紀半ば以後、キリスト教側も、ようやく先住民の宗教の価値をそこそこは認め、先住民たちもキリスト教徒ではありつつ、昔の宗教も守る、といった立場に立てるようにはなってきたらしい。やれやれだ。

 まあ、私たちにしても、先住民の宗教の方にシンパシ―を感じつつも、欧米の物質文明が生み出した今の便利な生活を捨てきれないわけで、自然環境を次々と破壊しながら行けるところまで行くしかない。かつての公害にしても、原発にしても、先住民の宗教からは決して生まれ得ない代物だ。

 ただ、核戦争か、彗星の地球衝突か、凄まじい異常気象か、何かわからないが、とんでもないことが起きて人類のほとんどが死に絶えた、なんて事態がおきた時に、生き残るのはキリスト教ではなくて、先住民の宗教の方の気はする。