力士雷電 | 山中伊知郎の書評ブログ

力士雷電

力士雷電〈上〉/ベースボールマガジン社
¥2,700
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 江戸時代の強豪力士・雷電について、元力士で、相撲関係の著書も多い著者がまとめた本。取材も徹底している上に、雷電や大相撲に対する愛がにじみ出ているのは、たとえば長野の雷電の生家に幾度となく足を運んだりしているのでもよくわかる。

 しかも雷電個人にスポットを当てたのではなく、当時の相撲興行の様子がていねいに描かれてもいる。

 これを読んで、いささか唐突ながら、私は江戸時代の大相撲って、どちらかといったら今の大相撲よりプロレスに近かったんじゃないかな、と感じた。
 とにかく力士たちは、時間があれば地方の巡業で回って、一カ所に落ち着いていない。お祭りがあれば神社の境内で小さな集団でも興行するし、都合が合えば大きな都市での大興行もする。「売り興行」もあれば、親方が自前でやる興行もある。
 本場所は晴天十日間ながら、雨で順延して一カ月以上かかるのも珍しくなく、別の大きな用事が入れば、本場所を休場してしまうのもよくあること。
 つまりなんというか、明治大正以降に「国技」と自称するようになる前の大相撲って、客観的に見て、相当に「いい加減」なのだ。

 しかも、雷電の引退が「数え年45」でもわかる通り、当時の力士の引退年齢は総じて高齢。
平均寿命が今よりずっと短かった時代であるから、まあ、今なら60歳くらいまで現役でとってる人が多かったようなものだ。
 これ、スポーツとして考えると無理がある。だが、プロレスなら50、60もいるわけで、江戸時代の相撲が、単に運動能力の勝負ではなく、そこにショーアップできるかどうかのプロレス的要素が濃厚にあったのをうかがわせる。
 つまり今よりずっと、芸能的要素が強かったのだろう。看板大関なんて、ただデカいだけで相撲はちっとも強くなかった力士もいたくらいだし。

 タイムスリップして、江戸時代の本場所を見たくなった。