妖怪と歩く ドキュメント・水木しげる | 山中伊知郎の書評ブログ

妖怪と歩く ドキュメント・水木しげる

 「ゲゲゲの~」が流行語大賞をとるくらいの、空前ともいえる水木しげるブーム。しかしいまさら『ゲゲケの女房』を手に取るのもやや気が引ける。本人の書いた本はいっぱいあリ過ぎて、どれ読んだらいいか、迷っちゃう。

 それで近くの図書館に行って見かけたのか、『妖怪と歩く ドキュメント・水木しげる』だ。もとの本は1994年発売だから、だいぶたってる。最近すっかり観光名所となっている水木しげるロードが出来上がった頃のようだ。著者はルポライターとして高名な足立倫行。水木と同じ境港出身。

 著者は、アメリカのインディアン・ホピ族を訪ねる旅行や、かつて水木がいた戦地・ラバウル旅行など、いろんなところに同行し、現地での水木の様子を描いている。また、そのたびに好奇心がおさえられなくなって、つい爆走してしまう水木のパワフルさに驚いている。

 中で、特に興味深かったのが、水木の日ごろの言葉と、実際の行動との大きな「矛盾」。「自分はナマケモノで、ニューギニアの土人のように働かずにのんびり暮らしたい」といいつつ、実態は、人の何倍も仕事をしまくる「仕事中毒症」である点だ。「私は半妖怪になっている」と他人を煙に巻くような発言をする一方で、自分が忘れられるのを恐れてせっせと仕事に励む小心さが同居する。こうした人物像は、水木自身の本にはなかなか出てこない。

 水木が、どうやら手塚治虫に対してあまりいい感情を持っていなかったらしいのも、「なるほど」と思って読んだ。という以上に、この2人の作風の根本的な違いが、この本の裏テーマにもなっているように感じた。

 ロボットでありつつ常に「人間」を意識していたアトムと、別にそれほど「人間」を意識していなかった鬼太郎。両者は、やはりまったく別の土台から生まれた存在なのはわかる。たぶん人間の手で科学技術を発展させれば幸せな明日が来る、と思われていた時代はアトムが人気になり、科学だけじゃもう幸せにはなれないと気付いたころには鬼太郎が注目されるのだろう。

 確かに、世の中は鬼太郎優勢になっている。

妖怪と歩く―ドキュメント・水木しげる (新潮文庫)/足立 倫行
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