わたしたちが泊まった最上峡の草薙温泉の近くに幻想の森という杉林があります。

 

 

 この樹なんかはまるでカモシカ。

 

 ブナとの混交林で、樹齢千年を超える樹もあり、タコ足のように幹が分かれた老樹も多く、太平洋側のオモテ杉に対しウラ杉と呼ばれているそうです。

 

 

 

 周りに誰もいなくてひとりでこの森の中に立ったら、と想像すると不思議な気持ちがしてきます。

 

 JR東日本のCMを吉永小百合さんがここで撮影したそうです。そのCMをこのサイトで見ることができますよ(↓)。

 

 

 残念ながらCMで使われた樹を特定することはできませんでした。

 

 

 

 これは秋田県の小安峡という渓谷ですが、白い煙は岩の割れ目から噴き出す大噴湯という水蒸気。長い階段を降りて噴き出すところのすぐ近くまで行けました。

 

 この日は岩手県の繋(つなぎ)温泉に泊まりました。

 

 

 岩手県遠野のカッパ淵には釣り竿の先にきゅうりをぶら下げたものがセットされていました。カッパは1974年7月を最後に目撃されていないそうで、見つけたら報告して欲しいとのこと。

 

 遠野は柳田国男の遠野物語で紹介されましたが、カッパのほかには、ザシキワラシやオシラサマが有名ですね。

 

 岩手県から宮城県に下ります。

 

 

 宮城県南三陸町の防災庁舎が震災遺構として残されていました。6mと予測した津波は15.5mで、12mの庁舎を飲み込み、骨組みだけが残りました。

 

 アンテナの先だけが津波の上に出ていたそうで、52名中11名だけが助かったそうです。

 

 

 

 その近くに建てられた南三陸311メモリアルという建物。津波のことを伝承するための施設ですが、この建物のデザイン、あの人らしさが漂うなと思ったら、やっぱり隈研吾さんでした。

 

 74名の児童が犠牲になった大川小学校の近くも通りました。川のすぐ近くだったんですね。学校のすぐ裏の山に登れば助かったのに。

 

 津波の届かなかった場所までは3分あれば行けたそうです。津波がこんなに速く襲って来るとは思わなかったんでしょうね。

 

 一方で、山の上の神社に逃げた保育園児は全員助かったそうですが、その神社の鳥居には津波のときはこの鳥居よりも高いところへ逃げろということが書いてあったそうです。

 

 被災地を訪れるといろいろと考えさせられますね。

 

 

 

 神割崎という岩が割れたように見えるところ。これには下記のような言い伝えがあります。

 

 宝暦年間(1751~1763年)のこと、浜に弱った大きな鯨が寄って来て、浜人たちは喜び、自分のものにしようとふたつの村が言い争いになった。

 

 三日三晩争って、お奉行様にも訴えたものの決着が付かないでいた三日目の晩、激しい雷雨と同時に落雷があり、翌朝浜に行ってみるとこの岩が真っ二つに割れていた。

 

 それを神の仕業と信じた人たちは争いをやめ、仲良く獲物を分け合い、以来この割れ目を村の境とするようになったとさ。