明治時代の女性の化粧と身だしなみ。身だしなみといえば髪と化粧がまず第一! | 化粧の日本史ブログ by Yamamura

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◆自己主張としての化粧はダメ。化粧は他の人を満足させるものという価値観でした!

 

こんにちは、山村です!

 

今回は、明治時代の「化粧と身だしなみ」

の関係について、

女性向け礼法書と美容書を見ていきます。

 

まず礼法書としてとりあげるのは

『日本女礼式』(明治29年刊〈1896〉)。

 

「女礼」とは、

「女性のたしなむべき礼儀作法」のこと。

 

江戸時代から続く、

女性のあるべき姿や心得などを説いたマナー本です。

 

最初に書かれているのは、

父母や夫、舅姑に仕える心得、

奉公人に対する心得。

続いて第三章が「身だしなみ」について。

 

ここで結髪と化粧がとりあげられています。

 

身だしなみといえば、

まずは髪と化粧なのです。

 

髪については、上品であること、

清潔であることなどが語られています。

 

化粧の部分を現代語に要約すると、

 

「昔から、婦人は

素顔では夫に対面しないのを礼儀とし、

化粧をすることで女のたしなみとしてきた。

化粧をしないのは凶事の時のみ。

女子たる者は、朝早く起きて

人に見られないうちに

薄化粧を施さなければならない。

洗い清めることをおろそかにして、

濃く紅白粉をつけるのは大変見苦しい」

 

と、こんな具合です。

 

身だしなみと化粧の関係は、

江戸時代と全く変わらないのですが、

明治の女礼式は少しだけ文明開化の

影響を受けている部分があります!

 

それは使うべき化粧品。

 

紹介されているのは白色のワセリンと

花いかだ(注:いずれも荒れ肌の保湿用)、

そして蘭方医が処方した化粧水の小町水。

 

明らかに洋風化しているのがわかります。

 

下の図版は、

「日本女礼式双六(部分)」(明治30年刊 1897)

女性の習得すべきたしなみを双六にした版画で、

詩歌、茶の湯、生け花などと共に、

左下に化粧が含まれています。

 

 

もうひとつ、明治40年(1907)に発行された、

美容書『化粧かがみ』も見てみましょう。

 

『化粧かがみ』は、この前年に創刊した女性誌

「婦人世界」の臨時増刊号。

 

フランス、アメリカ、ドイツ、イギリス、

そして日本の化粧法のほか、

最新の舶来化粧品の数々が紹介されていて、

肌色の白粉が推奨されるなど、

当時としてはかなりモダンな美容書です。

 

それにも関わらず、

身だしなみと化粧の関係は依然として

旧態依然のまま。

 

「化粧は女の身嗜みです」という

フレーズから始まるこの本ですが、

その後には、

 

「女性はその美しい容姿と温和な徳で、

荒々しい男性の心を和らげる責任を

持っているので、その責任を果たすために

化粧をする」

 

という内容が書かれています。

 

女性が化粧をするのは、

男性の心を和らげるためだというのです。

 

さすが男尊女卑の明治時代ビックリマーク

 

さらに、化粧には、

「自分の意を満足させる化粧」

「他の人に美しく見せようとする化粧」

の二通りがあり、化粧の真の意義は

「他の人を満足させるため」でなければならない

と結論づけているのです。

 

明治時代には、美容の本であっても、

自己表現としての化粧を否定して、

他人(おもに夫や舅姑、あるいは社会)に対する

礼儀としての化粧を推奨していた

ことがわかります。

 

ただし、実際の女性たちは、

本音の部分では、

自分自身がキレイになるために、

新しい美容法である、

クリームや美顔術にトライしていたと思われます。

 

現代の日本では、

化粧は自己表現のひとつと考えられています。

 

しかし、仕事の場で求められる化粧となると、

おしゃれな自己表現メイクではなく、

明治時代と同じような、

他人に対する礼儀としてのメイクであり、

それが「身だしなみとしての化粧」

ということになるのでしょう。

 

そういう意味では、化粧は人と人との、

コミュニケーションツールのひとつと言えますが、

個人的には、仕事の場での化粧に関しては、

化粧するしないも含めて、

もう少し自由度が上がるといいなと思っています。

 

次回は8月12日頃更新予定。