化粧品販売は江戸時代の小説家の副業だった。自分が書いた本で自分のコスメをPR! | 化粧の日本史ブログ by Yamamura

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◆恋愛小説の大家、為永春水が売り出したコスメは歯磨き粉の「丁子車」でした!

 

こんにちは、山村です!


今回は江戸時代、女性に人気があった

恋愛小説のベストセラー作家、

為永春水が販売していたコスメについて。


為永春水は小説家でしたが、

同時に書店も経営して出版も手掛けていました。


彼の書く小説は、

代表作『春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)

をはじめ、若い女性をターゲットにした

恋愛小説がメインラブラブ


登場人物の衣装や髪型の描写は詳細で、

当時の流行が取り入れられ、

下のようなカラー挿絵が入った本もありましたビックリマーク

 

読めば当時のファッション情報が伝わる本

だったわけで、女性にとっては、

それも楽しみのひとつだったと思われます。

 


『春色梅暦』 巻頭のカラーイラスト天保2-3年刊 国立国会図書館所蔵 

当然、化粧品も、有名な白粉の美艶仙女香など

流行の品々が紹介されているのですが、

その中に、春水は自分の店で販売していた

歯磨き粉丁子車(ちょうじぐるま)

ちゃっかり入れ込んでいます。


たとえば文政12年刊(1829)の

『孝女二葉錦(こうじょふたばのにしき)

巻之七では、


「白粉なら仙女香、歯磨きなら丁子車。

二色(ふたいろ)ともに江戸の花だ」

 

と、江戸一番の有名ブランド仙女香と

丁子車を並べて宣伝しているのです爆  笑
現代だと、シャネルやディオールと一緒に

宣伝するイメージ。

 

さらに、いろんな自著の前書き(序)で、

丁子車を作っているのは自分だとPRしています。

 

本の巻末広告にも、丁子車を載せたものがビックリマーク

 

下の図版は文政11年刊(1828)、

『風俗女西遊記』2編6巻の巻末広告。

赤で囲んだ部分が丁子車の広告です。

 

『風俗女西遊記』2編6巻 南仙笑楚満人作 国立国会図書館所蔵

 

内容は以下の通り。

「岩井粂三郎家法 御くすりはみがき

丁子ぐるま とおり油町 楚満人店にて

うり弘(ひろめ)申し候」

 

岩井粂三郎は女形の歌舞伎役者。

のちに6代目岩井半四郎を襲名しています。

替え紋は杜若丁子 (かきつばたちょうじ)。

 

つまり丁子車は、白粉の美艶仙女香同様、

歌舞伎役者の名を借りた歯磨き粉なのですビックリマーク

 

本人の許可はまずとってないでしょうねあせる

 

通油町は現在の日本橋大伝馬町。

為永春水の店があった場所で、

楚満人は春水の別のペンネーム。

自分の店で売っていたことを示しています。

 

それでは、丁子車とは、

いったいどんな歯磨き粉だったのかはてなマーク

 

『雪窓閑語 玉濃枝』後編巻之1 九州大学附属図書館所蔵

 

上の図版は文政11年刊(1828)の、

『雪窓閑語 玉濃枝(たまのえだ)』の巻末広告。

 

江戸時代の歯磨きは、

房州砂に香料を混ぜて作られていますが、

これを見ると「太白紅入り 好みに応ず」

と書かれているので、

精製した砂糖のように白い太白と、

紅入りの2種類があったようです。

 

紅入りはピンク色をしているので、

女性に好まれそうドキドキ

 

『孝女二葉錦』(文政12年刊)では、会話の中で、

「匂い袋を入れているように丁子の匂いが

たいそうするけれど、

実は為永の丁子車の歯磨きだ」

といった文脈があり、丁子(クローブ)の

香りがする歯磨き粉だったようです。

 

当時、女性は結婚していればお歯黒ですが、

未婚の女性は白い歯が美しい

考えられていました。

 

丁子車の販売がいつまで続いたかまでは、

調べきれていません。

 

春水は、風紀を乱す本を書いたという理由で、

天保12年(1841)に版元とともに

奉行所の取り調べを受け、翌年手鎖50日の刑にガーン

 

本を刷るのに使った板木(はんぎ=

文字や絵を彫った板)も没収されて燃やされ、

天保14年、失意のうちに世を去りました。

 

しかし、残された本は、

恋愛小説の大家が副業として

化粧品を売っていて、

書店や貸本屋がその流通の一端を担っていた

という、江戸時代の化粧品産業の

広がりを私たちに教えてくれる

貴重な資料になっています。

 

次回は2月29日更新予定。