戦時中の女性のファッション「モンペ」って知ってますか? | 化粧の日本史ブログ by Yamamura

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◆太平洋戦争中に国が推奨したファッション「モンペ」。小説や映画のタイトルにもなりました!

 

こんにちは、山村です!

 

今回は戦時中のファッションについて。

 

「モンペ」というと今どきは、

「モンスターペアレント」や、

「モンスターペイシャント」の略ですが、

戦前に「モンペ」といえば、

ズボンのような女性の衣服を指しました。

 

下の写真の女性がはいているのががモンペです。

 

1941年2月5日号「アサヒグラフ」より。女学生のモンペ姿。

 

モンペは、もともとは東北地方の農村で、

作業着として着用されていたのですが、

太平洋戦争中には政府によって、

女性の国民服として推奨され、

都会でも着用されるようになります。

 

形も限りなくズボンに近いデザインに

改良されました。

 

物資のない中、

着物をリメイクしてつくられるモンペは、

勤労婦人のシンボルでもあり、

防空訓練にも適した活動的な衣服だったのです。

 

とはいえ「おしゃれじゃない」のは確かなので、

女性の評判は悪く、実際に普及したのは、

空襲が激しくなった昭和19年(1944)年以降

といわれています。

 

その昭和19年1月、

なんと「モンペさん」というタイトルの映画が上映されました爆  笑

 

原作は昭和18年頃に雑誌『婦人倶楽部』で

連載された同名のユーモア小説。

著者は中野実さん。

 

具体的な話の内容はよくわからないのですが、

戦争を題材としていても、

話自体はコメディ仕立てだったようです。

 

太平洋戦争中のことですから、

おそらく銃後の女性の姿を描いて、

戦意高揚を狙った内容なのでしょう。

 

この映画の主演は月丘夢路さん。

女優になる前は、

宝塚歌劇団で娘役スターを務めていた方で、

男性にも大人気の美人女優でした。

 

1943年12月22日の「アサヒグラフ」に掲載された広告

 

月丘夢路さんは、現代の美意識で考えると、

ちょっと古風なタイプの美人ですねドキドキ

 

写真だと化粧はしているのでしょうが、

ぱっと見はナチュラルメイクビックリマーク

時世に合わせているのがわかります。

ヘアスタイルは、オールバックにして、

後ろをふんわりさせているように見えます。

 

月丘さんは、戦後の昭和24年(1949)に公開された、

小津安二郎監督の「晩春」で、

原節子さんと共演しているのですが、

そこではパーマヘアで口紅も濃くつけています。

 

1949年「晩春」のポスター。下の女性が月丘夢路さん、上は原節子さん

 

戦中と戦後、ほんの6年違うだけですが、

女性の華やかさは全く違います。

化粧などのオシャレは、平和で自由な時代だからこそ、

楽しめることがよくわかります。

 

次回は9月23日頃更新予定。