脱毛ブームと言われる今、「ムダ毛」の手入れの歴史を振り返ってみました! | 化粧の日本史ブログ by Yamamura

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◆本や新聞広告で脱毛法が紹介されるようになったのは明治末期からでした!

 

日本と欧米の「ムダ毛」の美意識については、

以前のブログにも書いていますが、

今回は何をもって「ムダ毛」と言うかについて。

 

 

日本では江戸時代には、

白粉のノリをよくするために、

顔や首筋のうぶ毛剃りが必須でしたビックリマーク

 

使っていた道具は、片刃の和カミソリ。

子持ちの既婚女性は、これで眉も剃ったのです。

 

つまり顔や首筋のうぶ毛が

「ムダ毛」だったわけですが、

当時の美容書『都風俗化粧伝』(1813刊)には、

ムダ毛という言い方はなく、

手足やワキの毛の処理に関する

言及はありませんでした。

 

江戸時代は手足が隠れる着物が日常着。

手足やワキの毛は見えないので、

ムダ毛という意識はなかったのでしょう。

 

しかし、明治時代になって、

欧米の美容法や化粧品が導入される過程で、

脱毛剤や脱毛術も入ってきました。

 

新聞広告に「脱毛術」の記事が登場するのは、

明治41年(1908)。

「東京美容院」の広告が最初だと思いますビックリマーク

 

同じ年、東京美容院から

『最新欧米美容法』という本が出版されました。

本では2種類の脱毛法が紹介されています。

 

そのひとつは「毛抜剤(けぬきざい)」を使った脱毛法。

輸入した脱毛液を綿やフランネルに塗布し、

贅毛(いらぬ毛)の部分に塗ると、

約30分で痕跡なく抜けるというもの。

 

もうひとつは「電気脱毛法」。

電気で毛根を焼く方法です。

この施術をすると二度と生えないと書かれています。

 

どちらも原理は現代と同じような脱毛法ですねビックリマーク

 

ここに出てくる「贅毛」という字は、

実は「ムダ」とも読めるのですが、

ここでは「いらぬ」毛とルビが振ってあります。

まだムダ毛という言葉は使っていないようです。

 

そして明治末期の脱毛の部位についてですが、

本では、

「顔や首筋など剃ると毛が次第に濃くなるので

脱毛するのがいい」

という論調で、腕や脇毛には触れていません。

 

しかし、大正半ばから昭和初期になると、

脱毛剤の新聞広告に「ムダ毛」という言葉が登場!!

部位も、手足やワキの下など、

はっきり提示されるようになりました。

 

脱毛剤ゾリパットの広告(昭和7年7月12日の読売新聞より)

 

昭和初期になると、

都会の若い女性を中心に洋装化が進み、

手足を出す機会が増えていきました。

 

加えて海水浴やテニスなど、

肌をさらす運動や娯楽の機会が増えたことで、

毛深さが悩みの種になってきたというのは、

自然な流れといえるでしょう。

 

とはいえ、戦前に脱毛剤や機械を使った脱毛は、

まだ一般的ではありませんでした。

 

ムダ毛の処理がおしゃれのひとつとして、

広く認識されたのは、戦後になってからなのです。


次回は7月13日頃更新予定。