昭和末期 懐かしの化粧品 ③ 1980年代はパレットメイク全盛期! | 化粧の日本史ブログ by Yamamura

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みんな一緒は終わり。‘80年代は個性化・多様化がキーワード!

 

こんにちは、山村です!

 

今回は、昭和末期、

1980年代のパレット化粧品ブームについて。

 

日本において、

アイメイクが世の女性たちの間に浸透したのは、

拙著『化粧の日本史』でも書いていますが、

1970年代。

昭和40年代になってからのことでした。

 

これにより、現在のメイクアップの基礎が完成ビックリマーク

 

1980年代は、

モノであふれかえる豊かな社会を背景に、

「多様化・個性化」がキーワードに!!

 

化粧においては、メイク品の色数や種類が

一気に増えていきます。

 

‘80年代なかばには、

「たくさんの色の中から、

自分好みのアイテムをセレクトできる」

パレットタイプの化粧品や、

手軽に使えるミニサイズの

リップやネイルが登場しますビックリマーク

 

始まりは、1981年(昭和56)頃だったと思います。

 

大手では、この年にカネボウ

「レディ80」ミニ口紅を発売。

ただし、まだ色数は多くありませんでした。

 

カネボウは'82年に、パレット化粧品の

「レディ80 メイクアップコレクション」を投入ビックリマーク

 

この時、カネボウは、

業界初のマグネット式パレットを開発。

リップ、チーク、アイシャドウなどの、

好きな色を組み合わせて、

1つのパレットにまとめられるのが特徴でした。

 

業界一位の資生堂は、

同じ1982年に「パーキージーン」を発売音譜

翌年の‘83年には、下の写真のような、

組み合わせて使える口紅やアイシャドウ、

別売りのパレットを投入しています。

 

『JJ』 1983年2月号より

 

さらに資生堂は‘84年に、

ミニサイズのメイクアイテムからなる

「パーキージーン ピコ ロンドン」を発売ビックリマーク

 

コンセプトはロンドンカラーで、

リップやチーク、ネイルなど全162色と、

多彩な色ぞろえ。

 

青系の口紅もいくつかありました。

 

この時は、当時、一世を風靡したダンス映画

「フラッシュダンス」の主演女優

ジェニファー・ビールスをCMで起用。

インパクトも抜群でしたドキドキ

 

同じ‘84年には、

コーセーがメイクブランド「BE(ビー)」を発売ビックリマーク

最初は6角形のパレットでした。

興味のある方は、下記のコーセーの

HPをご覧ください。

 

 

’85年春のパンフレットでは、

下の写真のように、

リップ、アイライナー、マスカラなどの、

棒ものやファンデも入るパレット

同時発売しています。

 

「KOSE BEAUTY ’85 春」 VOL.47より

 

しかし、「色数が多すぎるとかえって選べない」

という声があったのか、

‘86年にカネボウは、レディ80から、

「BIOカラーネットワーク」という、

会う配色がセットされたパレットを出しています。

 

セットされたパレットに、

さらに自分でセレクトしたアイテムを加える形です。

 

『JJ』 1986年5月号より

 

平成における化粧意識の高まりの序章が、

このブームから見える気がします。

 

とはいえ、多くの色があるのは、

店舗において見栄えはしますが、

メーカーにとっては、

ムダな在庫や製造コストが増える

デメリットがありました

(売れる色は限られているので)

 

また、当時のメインターゲットだった

女子大生にとっても、

自由に選べるとはいえ、

実際に使う色は、これまた限られます。

 

また、選べない人にとっては、

メーカーおススメの定番商品のほうが楽ビックリマーク

 

というような事情からだと推測していますが、

昭和末期のパレット化粧品や

ミニサイズコスメのブームは、

好きな色を自分で組み合わせるという、

新しいパレットメイクの考え方は残したまま、

緩やかに収束していきましたニコニコ

 

次回は9月30日頃更新予定。