◆楊枝(ようじ)だけでなく歯磨き粉、ふしのこなど化粧品も販売していました。
こんにちは、山村です!
前回は、江戸時代前期の化粧品関連のお仕事について書きましたが、
今回は江戸時代後期の楊枝店(ようじみせ)をご紹介します。
楊枝店とは、楊枝や房(ふさ)楊枝、歯磨き粉などを販売する店
楊枝はともかく、房楊枝は聞きなれない言葉ですが、これは江戸時代の歯ブラシ。
柳などの木から作った棒の先を叩いてつぶし、房状にしたもので歯を磨きました
浮世絵では次のように描かれています。
(「風俗三十二相 めがさめさう」 明治21年(1888) 国立国会図書館所蔵)
ちなみに現代は下の写真。比較すると時代の差が表れておもしろいですね
この楊枝店ですが、江戸時代の中期から後期にかけては、
浅草寺(東京・浅草)の境内にある楊枝店が有名でした。
仏さまの加護を願う場所であると同時に、江戸の観光スポットでもあった浅草寺には、
見世物小屋や大道芸人、茶店などが集まっていました。
そこに楊枝店も数多く店を出していたのですが、
明和(1772~78)の頃、イチョウの木の下にある柳屋のお藤が美人として大評判になり、
浮世絵や絵草子に描かれました。
下の図版は少し時代が後になりますが、享和2年(1802)の楊枝店の様子です。
(『絵本時世粧』より 浅草寺楊枝店 享和2年(1802) 国立国会図書館所蔵)
左側の看板には、
「かん木 御楊枝所 名代 根元 やなぎや」とあります。
イチョウの木もあるので、時代は違えど、お藤をイメージして描かれたのでしょう。
姉さんかぶりをした店番の娘は、
丸太を切リ出した台の上で、木槌を手に房楊枝をつくっています。
鈴木晴信や一筆斎文調の浮世絵には、
看板に「源氏 にほひぶし 本柳屋」と書かれたものもあるので、
楊枝と一緒に、
女性がお歯黒に使う五倍子(ふしのこ)を売る店もあったのでしょう。
娘の左側にある棚を見ると、さまざまな形の房楊枝や楊枝が見えます。
一番上の袋に入っているのは歯磨き粉、あるいは五倍子(ふしのこ)でしょうか。
そして下の図版は、天保5-7年(1834-1836)に出版された、
『江戸名所図会』6巻からピックアップした浅草寺奥山の楊枝店
矢印の4店はすべて楊枝店で、接客するのはいずれも女性です。
(『江戸名所図会』6巻 国立国会図書館所蔵)
明和から約半世紀経っていますが、
相変わらず女性を店番にして、
男性も女性もターゲットに、楊枝類や五倍子などの化粧用品を売っていたのです
江戸時代の浅草寺が、
老若男女が集う観光地として賑わっていた様子がよくわかる絵といえますね
浅草寺は今も東京屈指の観光スポット
新型コロナが早く収束して、一日も早く、元の賑わいに戻るのを願っています。
次回は8月10日頃更新予定。