◆サービス・ガール、エアガール。働く ”ガール”たち!
こんにちは、山村です!
山ガール、釣りガール、写ガールなど、
男性の割合が多い趣味などに
参入する若い女性を、
”○○ガール”、と呼ぶようになったのは、
10年位前からでしょうか
同様に土木系女子、農業女子、
理系女子など、
男性中心の職場で活躍する若い女性を
”○○女子”と呼んでいますよね。
歴史を振り返れば、
今から100年近く前の大正末期から昭和初期も、
”ガール”が注目された時代でした。
代表格がモダン・ガールです
モダン・ガールは、
洋装に断髪という最先端の流行に身を包んだ、
お嬢さんたち
進取の気性を持った女性と言う意味も込めて、
モダン・ガールと称されたのです。
彼女たちの中には、
ハリウッド映画の女優を模倣して、
垂れ眉にアイシャドウ、
幅広に塗った口紅などの、
最新メイクをする者も現れました。
初期のモダンガールは、
洋服に靴、ストッキング、舶来の化粧品などを
揃えることができる、
豊かな家庭の出身だったのです。
その一方で、1923年(大正12)の関東大震災や、
1927年(昭和2)年の金融恐慌などの影響で
不況になり、
「家計を助けるために私も働かなければ…」
と考える女性も増え、昭和初期は、
若い女性の社会進出が進みました。
そんな状況のもとで生まれたのが、
”ガール”のつく新しい職業でした
このブログでも、マニキュア・ガール、
マネキン・ガール、エレベーター・ガールを
紹介してきました。
これらの他に、ショップ・ガール(店員)、
デパート・ガール(デパートの店員)、
ガソリン・ガール
(ガソリンスタンドで給油などを担当)、
バス・ガール(バスの女車掌)、
サービス・ガール、エア・ガールなど、
さまざまなガールのつく仕事がありました。
下の写真は、サービス・ガール
昭和初期、市バスや青バス(現在の都営バス)の
案内係をサービス・ガールと呼びました。
バス・ガールから抜擢された優秀な女性たちで、
停留所などで乗車客への応対を
担当するのが仕事。
笑顔がステキですね
写真の停留所は四谷駅前
彼女たちには勤務の一環として、
メイクレッスンや英語の講習会などがあったそう
『アサヒグラフ』 1937(昭和12)年3月31日号より
次の写真はエア・ガール。
現代の客室乗務員です
とてもキレイな女性です
写真は、乗客の体重と手荷物の重さを
測定しているところ。
飛行機の搭載量を超過すれば、
手荷物を制限するのも仕事でした。
『アサヒグラフ』 1940(昭和15)年10月2日号より
実は、エア・ガールが最初に採用されたのは
1931年(昭和6)。
当時の新聞記事には、
「定期航空路の旅客機に搭乗して、
空の客に名所案内や飲み物のサービスをする
先端的女性の新職業」
などと書かれています。
ところが、141人の応募者から
選び抜かれた3人の合格者は、
あまりの給料の安さ(なんと20円に満たない)に、
ひと月ほどで全員退職
ふたたび登場したのは、
1936年と言われています。
さすがにこの時は、高給が支給されたそう。
現代のように、なんにでもやたら”ガール”や
”女子”をつけるのは、
企業が市場を広げるためのマーケティング戦略の
一環と言えますが、
昭和初期の職業に”ガール”をつけるのも同じ
安い給料でも女性に働きたいと思わせる
インセンティブとして、
いかにも先端的な”ガール”と言う言葉は、
とても有効だったと思います
それ以上に、モダン・ガールのように、
洋装の制服を支給され着用するのは、
当時の若い女性にとっては、
嬉しかったでしょうね
結婚や出産後も仕事を続ける女性が
多数派になった現代では、
若さを強調した”ガール”のつく職業は、
ほぼなくなりました。
(キャンペーンガールはまだ使われていますけど)
でも、昭和初期の場合、
お勤めするのは若い時期だけ
ほとんどの女性は学校を卒業して仕事に就き、
しかも22、3歳で寿退社するのが普通なので、
呼称は”ガール”でよかったのです。
そんなところにも、時代による違いを感じます。
次回は2月13日頃更新予定。