◆"厚化粧の標本"と言われていたタイピスト、でも実際は?
こんにちは、山村です!
今回は、昭和初期の働く女性の中から、
タイピストをとりあげました。
タイピストは、手書きの書類や口述を、
タイプライターで清書する専門職
地道な仕事と思われがちですが、
化粧やファッションが
派手だったと書かれた本もあります。
ここでは、なぜそんな話になったのかを
考えてみました。
タイピストの仕事はもともと、
英語やドイツ語など外国語を
清書するのがはじまりでした。
外国語に堪能でないとできないため、
その多くは高等女学校を卒業した才媛
要するに、高等女学校に行って外国語を学べる、
そこそこ豊かな家庭のお嬢さまが、
タイピストになったわけです。
しかも外国語をあつかう専門職なので、
お給料も高額。
昭和4年(1929)刊の『職業婦人物語』によれば、
語学の専門学校を出たり、
英文速記ができると100円を超えていたそう
これは、大卒男子の初任給を、
はるかに超える額でした
それなら、確かに化粧品や衣服に、
ジャブジャブお金をつぎこむ余裕は
あったはずですよね
大正15年刊(1926)の
『化粧秘訣 美人になるまで』には、
ある洋装のタイピストの化粧法が
紹介されていました。
その化粧とは、
「クリームはシモンクリームをつけ、
コティの粉白粉をはたいて、
上から白色美顔水でおさえておく」
そして、「1日に2、3度、休み時間に
パウダーで化粧直しをする」というもの。
洋装なので、髪にも軽くウェーブをつけていました。
ちなみに、シモンクリームもコティの粉白粉も、
高価なフランス製の化粧品
大正末期に洋装をしているなんて、
かなりのオシャレ上級者
バリバリのモダンガールですね
このようなイメージが、
"タイピストは厚化粧"という評価に
結び付いたのだと思います。
初期には語学の能力が必須
だったタイピストでしたが、
大正4年に邦文(和文)タイプライターが
開発されてから、すそ野が広がりました。
下の写真は、邦文タイプライターで
仕事をするタイピストです
(「アサヒグラフ」 昭和3年2月22日号より)
作業用の制服(上っ張り)を着ているようですが、
写真を見る限り、メイクも普通ですよね
邦文タイピストも立派な専門職でしたが、
欧文のタイピストより給料は低く、
前述の『職業婦人物語』によると、
東京と大阪のタイピストの
給料のボリュームゾーンは、30~45円位でした。
女性の仕事としては、
それでも高給の部類とはいえ、
大卒男性の初任給約70円の半分程度、
差は歴然としています
給料に占める「化粧品・結髪・入浴代」も、
2円以下が45%と、
決して多くはありません
むしろ、約6割のタイピストが、
家計補助のために、
家に20円までを入れているという状況
おしゃれに大枚をはたけるタイピストは、
ごく一部の高級取りだったのでしょう。
実は、昭和2年に金融恐慌が起こるなど、
昭和初期の日本は景気が低迷。
一家の大黒柱である父親が
職を失う事態も多々ありました。
産業が多様化して、
女性の新しい職業が増えた昭和初期でしたが、
裏を返せば、女性が活躍した背景には、
結婚まで家でゆっくり花嫁修業をする
余裕がなくなった、
という切実な事情もあったのです
次回は2月6日頃更新予定。