平成の化粧モノがたり 9. 平成の高額コスメを振り返る ① | 化粧の日本史ブログ by Yamamura

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◆資生堂クレ・ド・ポー ボーテとポーラB.Aは、昭和末期に生まれました!

 

こんにちは、山村です。

 

プチプラコスメが注目されている今、4月に発売されたダイソーの100円コスメ

「U R GLAM ユーアーグラム」が大人気ですねラブラブ


100円コスメをオシャレにブランド化するという発想はこれまでなかったので、

今後の展開に注目していますビックリマーク

 

今回とりあげるのは、

そんなプチプラコスメとは正反対のハイプレステージコスメ!!

各社の最高峰スキンケアについて、昭和末期から振り返ってみましょう。

 

平成は、バブル崩壊やリーマンショックなど景気の大波がいくつもあり、

ファッションがカジュアルなリアルクローズ路線に大転換した時代です。

 

化粧品に関してもバブル崩壊以降は単価が下がり、

売り上げも長らく横ばい傾向にありましたが、

高級化粧品はスキンケアを中心に売り上げを伸ばし、

2000年代になっても不況知らずと言われていたのです音譜

 

現代に続く高級化粧品のルーツは、

バブル全盛期の昭和末期にあると私は考えています。

この頃、バブル景気を背景に、

化粧品会社の技術の結晶としての高級化粧品が、各社から次々と発売されましたビックリマーク

 

そのひとつが1982年(昭和57)発売の

資生堂クレ・ド・ポー ボーテのラインドキドキ

クリームは当時20gで3万円あせる

 

この年の大卒初任給が約12万5千円でしたから、

クリーム1つ買うだけで、給料の4分の1がとんでしまうほどの高級化粧品でした。

 

その3年後の1985年(昭和60年)に単品で発売された

ポーラのクリームB.A30gで3万円ビックリマーク

こちらも、その後に化粧水や乳液などを加えてライン化されています。

 

写真は、女性誌に掲載された現在のクレ・ド・ポー ボーテの広告キラキラ

クリームは30gで6万円です。やっぱり高いですね爆  笑

 

 

クレ・ド・ポー ボーテとB.Aドキドキ

この2つのブランドは、平成のバブル崩壊の荒波を乗り超えて、

現在も輝き続けている国産高級化粧品ブランドの双璧といえるでしょうまじかるクラウン

どちらのブランドもスキンケアからはじまり、今はメイク品も展開しています。

 

他にも、深キョンのCMで知られるメナードが、

1986年(昭和61)にエンベリエという最高級ブランドからスキンケア3品を発売ビックリマーク

ナイトクリームは3万5千円(35g)とこちらも高額でした。

 

外資系では、超高級化粧品ブランドと言われていたゲランが、

1987年(昭和62)に5万円の美容液を発売しています。

 

このように高価格の化粧品が増えてきたのが昭和末期でしたが、

平成になってバブルがはじけた90年代の間は、

高くても単品で5万円がひとつの目安でした。

ところが2000年代になると、それ以上の高額化粧品が続々と登場しましたびっくり

2000年以降は次回に続きます。

 

次回は10月6日更新予定。