◆ファンデーションは戦後、流行した化粧品でした!
こんにちは、山村です!
先日、資生堂のウェブサイトに、
「ファンデ100問100答」がアップされました。
「ファンデーションは肌に悪い?」
「ファンデの正しい塗り方って?」など、
ファンデーションに関する
さまざまな疑問や悩みを、
専門家がわかりやすく解説する内容です。
実際、私も友人から
「ファンデーションをつけると、
皮膚呼吸ができなくなるんだよね」
などと聞かれることがあり、
「いや、そんなことないから」からはじめて、
詳しく説明しています。
「ファンデ100問100答」では、
まさに、そうした疑問にも丁寧に答えています
そして、私も、この企画に協力させていただきました
「明日から話せるファンデの歴史」の項で、
ファンデーションと、そのもとになった
白粉(おしろい)に関する
歴史エピソードに回答しています
興味をお持ちの方は、以下のURLをご参照ください。
https://foundation100.shiseido.co.jp/
現在のファンデーションは、
女性のベースメイクに欠かせない商品ですが、
初期のファンデは、
アメリカのハリウッド映画に出演する
男優や女優の肌を美しく見せるために
開発されたもの。
それが、改良されて、
一般女性の間で広まったのです。
このファンデーションが、
日本で普及したのは、
戦後の昭和20年代以降でした。
今回は、「ファンデ100問100答」にちなんで、
日本のファンデ創成期ともいえる、
昭和20~30年頃の、
ちょっとおもしろい広告をご紹介しましょう
下の写真は、
昭和30年(1955)の『主婦の友』6月号。
伊勢半のキスミーファンデの広告です
右側の女優は、若尾文子さん
さすがに、若い頃から美人ですね
そして、左側のイラストは、
どう見てもオードリー・ヘップバーン
載せてよかったのかですが、
これも、映画を意識させるファンデの広告です。
昭和30年代になると、
ファンデの広告や美容記事が、
ひんぱんに女性誌に掲載されるようになり、
粉白粉とクリームを使ったメイクにとって変わって、
女性たちに普及していった様子がみてとれます。
一方、下の写真は、
昭和24年の『スタイル』 1月号から、
「キッスリングファンデーションクリーム」の広告
昭和20年代前半から、
すでにファンデの広告は、
ぼちぼちみられました。
でも、20年代前半は、
日本の敗戦後の物資不足のせいで、
まだ雑誌のページ数が少ない時代でした。
どの広告も小さく、これなどは、
1ページを6分割しています。
上にある、昭和30年の広告とは、
ずいぶん雰囲気が違うのがわかりますよね
「アメリカ好みの光るお化粧」とありますが、
当時はアメリカから
援助物資をもらっていた時代でもあり、
アメリカ文化は日本人のあこがれでした。
次の写真は、テルミーパレトーンの広告
昭和26年の『主婦の友』9月号に
掲載された広告で、1ページの半分の大きさです。
拙著、『化粧の日本史 美意識の移りかわり』でも
紹介しています。
同じ年の3月に、
日本初の総天然色映画と銘打った、
「カルメン故郷に帰る」が公開されました。
人気女優の高峰秀子を主役にした、
このカラー映画は大ヒットします
そして半年後には、上の写真のように、
カラー映画のメイクを意識した
ファンデの広告がつくられました。
昭和20~30年代には、
ピンク系のファンデが流行しましたが、
それは「カルメン故郷に帰る」などの
映画の女優の肌が、
ピンク色に見えたことに由来するといわれています。
一番上の写真にある若尾文子さんの肌など、
かなりピンクがかって見えますが、
それが、当時の流行していた色だったのです
このようにファンデーションひとつとっても、
世相を映しているのが、
化粧のおもしろいところ
ファンデーションについては、
ほかにも紹介したいテーマがありますが、
それはまたの機会に
次回は11月7日更新予定。