昭和初期の働く女性 ③ モダンな洋装でお客様をご案内、エレベーターガール | 化粧の日本史ブログ by Yamamura

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◆化粧は機敏に早く、生き生きとした健康色をこころがけました!

 

こんにちは、山村です!

 

あと4日で、2017年も終わり。

1年が過ぎるのは、あっという間ですね。


今年最後のテーマは、

昭和初期の働く女性から、

エレベーターガールとその化粧

をとりあげましたビックリマーク

 

日本で、女性を最初に

エレベーターガールとして採用したのは、

昭和4年(1929)、

百貨店の松坂屋上野店といわれています。

 

当時のエレベーターは、

ハンドル操作式・格子状扉のエレベーターあせる

手動で動かさなければならず、

操作をする人間が必要だったのです。


それまでは、

男性のエレベーター係がいたのですが、

女性になって、評判がよくなったそうです。


松坂屋が口火を切った後、

三越、白木屋、松屋などの百貨店も、

次々と女性を採用しました。

 

エレベーターで、お客さまを案内するこの職業は、

当時の女性にとってのあこがれとなり、

「エレベーターガール」「昇降機ガール」

などと呼ばれていました。

 

昭和6年7月15日の『東京朝日新聞』に、

エレベーターガールの記事がありました。

 

制服や背景からみて、

おそらく上野松坂屋と思われますが、

彼女たちの勤務は9時から午後6時まで。

総員20余名が、1時間交代で働いていたそうです。

 

昭和7年の『婦人倶楽部』には、

「職業を持つ婦人の髪と化粧」

という記事があります。(下の写真)

 


ここでも紹介されているのは、

上野松坂屋のエレベーターガール。
そのお化粧は、

「機敏に早く。生き生きとした明るい健康色。

1日中乱れないように」

がモットー!!


そして「お客様にいやな感じを持たれるような、

「ケバケバしいお化粧」

にならない注意をしていたそう。


化粧のプロセスは、

洗顔後、クリームをつけて、

オークルのパウダーを叩き、

眉をひき、口紅をつけるというもの。

口紅は薄く、唇の形どおりにつけます。

 

まさに洋風化粧ですね。

時代の最先端だった洋装ファッションに

合わせる白粉が、オークルなど肌色というのも、

この頃には定着していたのでしょう。

 

髪型は、長い髪にゆるやかなウェーブをつけて、

後ろで髷にしたスタイル。

 

断髪にしていないのは、

お客さまの反感を買わないためかもしれません。

でも、前髪にワンポイント、

カールをつけて垂らしているいるところが、

おしゃれ上級者ドキドキ

 

まさに、昭和初期のモダンな女性のファションです!!

 

当時の百貨店は、おしゃれの殿堂爆  笑

来店するお客さまの目を一身に浴びる、

エレベーターガールは、デパートを代表する、

キラキラした存在だったのでしょう音譜

 

外で働く女性が増え、

みだしなみとしての化粧が広まった

大正から昭和前期。

 

女性たちは、このように、

仕事に合わせた化粧をするようになりました。

 

今年のブログはこれで最後です。
読んでくださった方、ありがとうございました。

 

来年は、5日位に再開する予定。

来年もどうぞ、よろしくお願い申し上げますラブラブ

 

皆さま、どうぞよいお年をクラッカー