明治時代の女性誌にはどんな広告が載っている? ② 浅田飴、ツムラ、三越呉服店など。 | 化粧の日本史ブログ by Yamamura

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100年以上続いた老舗とロングセラー商品

 

こんにちは、山村です。

 

前回の続きで、明治44年(1911)12月発行

『婦人世界』 1冊のなかに、

どれだけ、今も続いている企業の

広告があるのか、調べてみました。

 

『婦人世界』は明治39年創刊。

明治末期から大正前期にかけて、

人気No.1の女性誌ビックリマーク

 

最盛期には、30万部ほど、

売れていたともいわれています。

 

 

 

女性向けだけあって、化粧品や、薬品、

食品の広告が多いです。

化粧品と食品は前回ご紹介したので、

薬品からみていきましょう。

 

 

 

現在の参天製薬です。

明治23年(1890)創業。

最初は、かぜ薬の「ヘブリン丸」を

販売していました。


明治32年に「大学目薬」を発売。

商品名に「大学」を入れたのは、

権威づけのためでしょう。


そういえば、化粧品にも「大学白粉」がありました。

でも、この大学教授はちょっと怖いかも…。

 

 

 

堀内伊太郎商店は、株式会社浅田飴の前身。
明治20年から、

宮中侍医浅田宗伯が処方が処方した、

「御薬さらし水飴」を販売。

2年後の22年に「浅田飴」に改称。


「良薬にして口に甘し」がキャッチフレーズでした。

 

 

 

津村順天堂は、現在のツムラの前身。

明治26年創業。

同年、婦人用の生薬「中将湯」を発売。

「中将湯」は、今でも有名な、

ロングセラー商品ですね。

 

 

薬品以外では、こんな広告もビックリマーク

 

 

日本蓄音機商会は、現在の日本コロンビア。

日本初のレコード会社です。

「ニッポノラ(日本ノラ)」は蓄音機。

明治44年に60円だったそうです。

高価すぎて、庶民には手が届かない商品でした。

 

 

 

三越呉服店は、

現在の三越伊勢丹ホールディングス。

ルーツをたどれば、江戸時代、

延宝元年(1673年)の

「越後屋(えちごや)」までさかのぼる老舗!!

 

創業明治37年に

「デパートメントストア宣言」をして、

日本初の百貨店になりました。

 

 

以上、代々一族が経営し続けている会社もあり、

他社と合併したり、企業買収された会社もあり。

 

各社、さまざまな試練を経ていますが、

100年を超えて残っていられるのは、

各社の経営努力や、

商品のブランド力があってこそ。

 

ちなみに、『婦人世界』を出版していた

実業之日本社も、創業明治30年(1897)。

現在まで、100年以上続く老舗でした。

 

9月は、化粧品業界のロングセラー商品や、

復刻商品について、取り上げます。

 

9月6日更新予定。