NHKアーカイブスで,片岡鶴太郎サンが1970年に
放送された「板画まんだら 棟方志功の世界」を
もう1度見て,棟方志功やご自身のコトを語る番組を
やっていました。
片岡鶴太郎サンには悪いけど,棟方志功の部分が
あまりにもインパクトがあり過ぎました(笑)
棟方志功は,「悲しみ」や「哭き」から芸術は始まる
というコトを語っていました。(←記憶があいまい
なのでコトバが正確ではありませんが…)
また,東北は冷害や厳しい生活から,もともと
そういう悲しみが大きかった,というコトも語られて
いました。今回の震災や津波もその悲しみに
新たな1ページを刻んでしまう訳ですが…
東北の人々はお地蔵様を自ら彫って,その悲しみ
を込めたのだそうです。
仏師でもない人々が素朴なお地蔵様をわざわざ
彫るのには,そのような悲しみが背景にあるのかも
しれません。
ならば,
東日本大震災の起きた今年に,チマチマと粘土を
こねている山もっティも,お地蔵様ではないけれど,
ご冥福をお祈りしつつ,この龍馬像を作らせて
いただく所存であります。
「ご冥福」というよりも,やはり悲しみのキモチだと
思います。先日,「ご冥福」って何となくわかるけど
ネットで調べてみようとしたコトがあります。すると,
「冥界」など無い,という立場を取る宗教や宗派や,
「アナタに祈ってもらわないと,冥界で幸福になれ
ないの?」と受け取られかねないので,そういう
表現は使うべきでない,という考えもあるようです。
話を龍馬像に戻します。
坂本龍馬サンが近江屋で暗殺されていなければ
その後どれほど活躍しただろうか?と考えると,
何とも残念であり本人も無念だったと思います。
幕末に命を落とした多くの志士もまた然り。
そういう悲しみも込めつつ粘土を盛り付けて
いきたいと思います。
そして,あたかも生き返ったかのような龍馬像が
完成させられれば,と思いつつ,また作業を
続けたいと思います。