長崎ぶらぶら、続き。 | 山もっティの独り言。

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「被災地と共にある」

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前の「長崎ぶらぶら」の記事の続きと言いますか残りと言いますか…とにかく書きます。

写メは三吉慎蔵サン。
若い頃の写真もそうなんですが、どことなく透明な感じのするお方です。宝蔵院流の槍の達人でありながら、それを主張したり自慢する訳でもなくひたすら穏やかに澄みきっている感じがします。
武道で語られる「木鶏」の如く泰然としている、達人とはまさにこのような境地に達している人かもしれません。
老齢であるハズのこの写真からは、老いて衰えた要素は全く感じられず、均整の取れた姿勢の正しさが感じられます。このような年の重ね方は見習いたいトコロであります。
宮内省御用掛として北白川宮家に勤めたというのは知りませんでした(笑)
三吉慎蔵に関しては、私のブログにペタを付けてくださっている春野公麻呂サマのブログに詳しい記事がありますんで、ソチラをオススメしときます。


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カミソリ陸奥こと、陸奥宗光の写真です。この写真は初めて見るかも?
でも、大学生の頃に亀山社中跡にこの写真が展示してあったとしたら見たコトあるハズなんですが。物忘れがヒドイのでしょう(苦笑)
陸奥宗光は洋服が似合う欧米人体型ですな。奥さんも美人だし(笑)


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海援隊の商事用の印章だそうです。コレを作ったのはもしかして小曽根乾堂?(笑)
そうだとオモシロイのですが。


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吉田東洋の写真ですが、山もっティが今まで見た中でも一番鮮明な写真です。吉田東洋在りし頃の写真となるとドコで誰が撮影したのか?というコトも気になるトコロです。


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前にも載せた龍馬サンの写真です。
亀山社中資料展示場のオバさまから聞いた説明通りに、左手に着けた「脚絆」が見える、と前の記事に書きましたが、コレは「手甲」でしたね…。
前述の春野公麻呂サマのコメントにより気づきました。訂正してお詫びいたします。


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亀山社中資料展示場の資料は以上で、次の写メは興福寺(長崎)です。
木魚の元となった魚板を以前の記事にも載せていましたが、アレの隣にあるもう1つのヤツです。
コチラは歯がギザギザしていて、漫画の「ワンピース」に出て来そうなユーモラスな感じがしたので載せてみました(笑)


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最後の写メは、長崎の大波止(おおはと)という港にある大きな鉄の玉です。江戸時代から大波止にあって謎なのだそうです(笑)
大砲の玉と考えられ、「鉄砲玉」と呼ばれていたコトもあるようですが、大砲の玉でない可能性もあるので最近は「鉄玉」と呼んでいるそうな(笑)

ちなみに、長崎の港は、最近になってようやく海がよく見えるようになって来ました。
山もっティが幼い頃は、かつて戦艦武蔵の建造を隠すために、三菱長崎造船所が建てまくった倉庫群が建ち並び、「海はドコ?」状態でした(苦笑)
グラバー邸など西洋人の住居から戦艦武蔵の建造の様子が見えるという理由で洋館群も三菱が買い上げました。
46センチの主砲が国家機密だったとはいえ、長崎にとってはえらく迷惑な話でした。

また長崎の町をぶらぶらしたら記事にするかもです(笑)