ブロックと呼ばれる類のものは
わたしたちが「自分自身にブロックがある」と感じたり思う限り存在するんだと理解しました😮
でもブロックは
自分を守る大事な壁でもありました。
エヴァでいうATフィールドみたいなものです
なんか違う…
「ブロックがある」と思うことで守られていたし、
そして抵抗にもなっていました。
守られなくても大丈夫なくらい
自分自身が元気になったなら
もう手放していいんです。
守ってくれていたブロックが
抵抗の思考だと感じるようになったなら
もうブロックと呼ばれるものを必要としなくなった証拠だなとわたしは思っています。
そしてそのブロックも
自分が必要だと思ったから、「ブロックがある自分」をその時の自分が選択したに過ぎません。
なんでこんな話をしてるのかというと
この記事を書いたあとに
わたしはずっと
「太ってる自分」を「自分で選択していた」ことに気づいたからなのです
幼少の頃、性的な悪戯をされたことが何度かあり
「太って醜い自分でいれば、そういうことをされずに済む」
と幼いわたしは思っていたんだと思います。
そんな目に遭わずに済むのなら
デブと言われ揶揄われていた方がマシだと思っていたんです。
男らしい振る舞い、かっこいいのが好きなのも
男の子っぽくしておけば、そういう目に遭わなくて済むと思っていたんです。
だからスカートや赤いランドセルが気持ち悪かった
女の子の象徴みたいなものが
全部気持ち悪かった。
でも今は
心地よい時間を過ごしながら
自分がやりたいことをして過ごしています。
女性に生まれてよかったなと思えることもいっぱいです
わたしを守ってくれたブロックは
もう必要がないのです。
だから
わたしを守ってくれたブロックに感謝を込めて、自分の意識が変わることを許可することに決めました。
ブロックがあることで守られていた自分から
ブロックを手放して、新たな定義を自分で選択する自分に許可を出しました。
昨日ノートに殴り書きしてた言葉です
わたしはかつて自分を守ってくれた定義から
新たな定義を自分の中に決めました。
それがこれです
ブロックはお守りなのです。
怖い時はずっと寄り添ってくれます。
勇気が出た時は力になってくれます。
悪者じゃないのです。
すべて自分のものなのです