山本が好きなもの―中島みゆきとアコースティックギター | 山本先生

山本が好きなもの―中島みゆきとアコースティックギター

山本が高校生の頃

海外では

カーペンターズ,ビートルズ,エルビスプレスリーといったスーパースターが

世界を席巻し,

サイモンとガーファンクル,PPM(ピーター・ポール&マリー),

ボブディラン,ジョーン・バエズ といったフォークシンガーが

新たな潮流を作っていました.

日本ではそれに影響を受けた

タイガース,テンプターズ,ブルーコメッツなどのグループサウンズや

赤い鳥,5つの赤い風船,岡林信康,といったフォークシンガーが

今までの演歌や歌謡曲とは違ったジャンルで活躍していました.

 

グループサウンズやフォークソングが少し落ち着いてきたころ

吉田拓郎,中島みゆき,ユーミンといったフォークソングとはちょっと違った

いわゆるニューミュージックの人々がどんどん世に出てきました.

 

山本はこの中でも特に中島みゆきさんがお気に入りで,

学生の頃はお金がなくて安物のフォークギターしか買えませんでしたが,

30歳のころに中島みゆきさんが使っていたギターと同じものを買ったぐらい,

彼女の歌や人柄が好きでした.

 

中島みゆきさんは山本より3つ年上で

山本が二十歳のときにヤマハのポプコン(ポピュラーソングコンテスト)で

「時代」がグランプリをとった時に彼女を知ったのですが,

彼女は学生時代からコンテストあらしで有名なぐらい北海道では知られていて,

翌年には研ナオコさんに「あばよ」を提供して

ソングライターとしても活躍し始めます.

彼女が一躍人々に名を知られたのは

「時代」が世に出て2年後,

「わかれうた」が大ヒットした時で,

その当時はテレビで「ザベストテン」という

久米宏さん・黒柳徹子さんが司会の音楽番組に出ることが

歌手の皆さんの目標の一つであった中,

頑なにテレビへの出場を拒み続けたのも話題になりました.

 

山本は彼女のコンサートが好きで

よく見に行ったのですが

最初のころのみゆきコンサートは

みんなが「ペッターン」(胸が小さかったための今では考えられないニックネーム)と呼んだり,

曲の合間の語りの時は

彼女めがけてみんながカップラーメン(みゆきさんは大のカップラーメンファンです)を投げて

それを

「あっ,アタシこれまだ食べたことないよぉ」

というような会話がとても自然体でした.

 

山本が30歳半ばになったころから

みゆきさんのライフワークともいえるコンサート「夜会」が始まり,

毎年1回10年にわたって渋谷で少人数のコンサートが始まりました.

これはみゆきさんの一人芝居が多く,

彼女の独特の世界観が表現されていたのですが,

このころは初期のコンサートのはつらつとした雰囲気はなく,

どちらかというと重い感じのものでした.

 

このコンサートの中で毎回歌われていたのが

「ニそうの舟」という壮大な曲で

山本はこの曲が

「地上の星」「空と君のあいだには」「銀の龍の背に乗って」

といったよく知られた名曲よりも

一番中島みゆきの世界を表している気がします.