心に残っている生徒ー大学の先生に呼び出された女の子 | 山本先生

心に残っている生徒ー大学の先生に呼び出された女の子

その女の子は,

彼女が中学2年生の時から教えていた子です.

 

公立の中学に通っていて,

数学が苦手なために進学塾の授業が難しく,

山本の塾を訪ねてきたのでした.

 

苦手とは言っても彼女の場合は

定期テストぐらいならなんとか平均点は取るレベルで,

彼女が望んでいたのは

高校受験で数学が足を引っ張らないこと.

幸い英語は得意だったので

進学塾の進度に合わせて,

入試の基礎から少しずつ難しくしていきました.

 

とにかく頑張り屋で

中3の夏は一日のうち6時間ぐらいは数学をやらせた気がします.

努力は報いられるもので,

彼女は最初の第一志望だった国立高校から

慶応義塾女子高校に変更して,

見事に合格したのでした.

 

慶応女子に進んでしばらくは高校の数学についていっていましたが,

やはり苦手意識が出てきて,

高校3年間もずっと山本が数学を見てきました.

 

少しずつ学校の成績が安定し,

定期テストの数学なら学年で上位に届くようになりましたが,

ある日

「先生,私医学部に行きたい」

と言い出したのです.

 

それまでエスカレーターで慶応大学に進むものとばかり思っていたので,

高2までは定期テスト対策の勉強ばかり.

それに進学校のように学校の進度も早くなかったため,

数Ⅲもほとんど手つかずの状態で,

高3から入試レベルの基礎や数Ⅲを教えましたが

応用力までは準備できず結局浪人の道を選びました.

 

予備校は駿台にして

夜は週3回山本の塾で数学の特訓.

11月ぐらいに初めて河合塾の模試で

数学の偏差値が60を超えましたが

医学部合格のためには最低でも66は欲しいところ.

 

志望校は英語の実力が発揮できて

数学は比較的入試の典型問題を出してくれるところ…

と考えて島根医科大にしました.

 

入試の前々日までずっと数学対策をしましたが,

やったことは

頻出問題の徹底的な繰り返し.

彼女のいいところは難しいことを欲張らず,

とにかく自分の解けそうな問題を絶対失点しない性格であったのと,

山本の解法を全く同じように真似できるまで

何度でも愚直に努力する精神力の強さでした.

 

そして試験が終わってすぐに

「先生,1か月前にやった問題の類題が出て,

 完璧に解けました.

 あとは自分が解けそうな問題だけ2問解きましたけど,

 合っているかは自信ないです.」

と報告に来たのですが,

結果はなんと合格.

お母さんと一緒に塾に来て,わんわん泣きながら喜んだのです.

 

それから2か月

島根から塾に手紙が来ました.

「先生,お元気ですか.(中略)

 昨日数学の授業があって,名前の点呼があったときに

 私が返事するとその先生が

 『君が○○さんか.あとで教授室にきてくれませんか』

 と呼び出されたんです.

 私はもうどきどきして,

 きっと数学の試験があまりにもひどかったので

 何か言われるんだろうなあ…

 と暗い気持ちで教授室に行きました.

 そうしたら

 『○○さん,入試の3番の問題,

  素晴らしい解答でしたね.センスが良くて,

  採点していたみんなで,

  この子が受かるといいねえと話してたんですよ』

 と思いもかけない言葉をかけられたんです.

 先生,私センスがいいんですって.

 生まれて初めてセンスがいいなんて言われました.

 でも先生が教えてくれた通りの解答を書いただけなんですよね.

 それでもこんなに嬉しかったのは初めてです.」

 

初めての大学の授業で

いきなり自分に呼び出しがかかったら

それはもう心臓がバクバクしていたことでしょうね.

でもこの手紙は山本の大切な思い出でもあります.