朝、新潟から帰ってきてから、
超福祉展のサテライト会場
http://www.peopledesign.or.jp/fukushi/
実践女子大学 渋谷キャンパスにて行われた
「未来をつくるDiversity Cafe」に参加してきました。
「だれもが安心して出かけられる街にするには」というテーマで対話型ワークショップに
ゲストスピーカーとしてお招き頂きました。
僕含む4名のゲストスピーカーは
・渋谷副区長の澤田伸さん
・シェアリングエコノミー協会の佐別当隆志さん
・オレンジドア代表/若年性認知症当事者の丹野智文さん
・僕、山本左近
というメンバーでした。
実は、直前にトップバッター役をご指名頂きましたので、僕の考えるダイバシティ(多様性)について、話させて頂きました。
僕の内容はのちほど。
佐別当さんは、車だけじゃないシェアリングエコノミーの現状(お家や仕事、お金など)や、政府との取り組みなど、今後の展望についてもお話し頂きました。
丹野さんは、5年前の39歳の時に若年性認知症と診断された認知症当事者からの視点、想い、問いかけしてくださいました。
認知症だから何もできないわけじゃないし、介護される人じゃない。
軽度〜重度までみんなそれぞれ違う。
できないことはもちろん助けて欲しい、でも今の自分にできることもたくさんある。いきなり守られる人になるわけじゃない。
40歳と80歳は違うので、年寄り扱いもして欲しくない。
認知症当事者として丹野さんの訴えは本当に心に響きました。
澤田さんは、渋谷区副区長という行政の立場から、渋谷に住む人、働く人、好きな人とワークショップを繰り返しながら街づくりをしている話や、
高齢者や障害者っていう言い方や枠組み自体を法制度から変えられないのか?
パラリンピックを成功させて、多様性を認め合える社会を実現したいとのお話を頂きました。
みなさんのお話は全くその通りで同感できることばかりでした。
僕からは、19歳の時にドイツへ移り住んだ時、ドイツ語という言葉でのコミュニケーションが全く取れないマイノリティとしての生きにくさを経験し、僕はこの国では障害者なんだろうと感じたこと。
誰でも平等に歳はとるし、ちょっと環境が変わっただけで自分が障害のようになることだってありえること。
障害や認知症高齢者になったら人生終わり、ではなくて、できること/できないことが、少し違ったり、変わったりするだけということ。
人の幸せは、自立して自由に生き、今できることで他の人の役に立つ働きをすること。
それを実現するには、違う特徴を持った人が同じ場所で暮らす多様性のある社会であること。
それがまさに父が目指して作った、福祉村というコミュニティ。
0-100歳まで、健康な人も、認知症の人も、障害のある人も、外国人も、みんながお互いに支え合って生きている場所、それが*福祉村。
と言った自分の若き頃の体験や、今の仕事を通じた問いかけを含めて話し、
これからの高齢者社会と呼ばれる日本を、誰でも何才でも幸せに生きられる社会、
超“幸”齢社会をデザインしていきたい!というメッセージを伝えさせて頂きました。
<話を絵に書いてまとめてくれたゆーこさん>その後のショートプレゼンターでは、
日本介護旅行士協会の加藤真一さん
みまもりあいプロジェクトの高原達也さん
認知症フレンドリーイニシアチブの前田亮一さん
3名のお話も相当想いのこもった、熱いプレゼンを聞かせてもらいました!
皆さん、それぞれイノベーティブな取り組みを物凄い熱量で取り組まれていて、本当に素晴らしく感動しました。
その後皆さんでグループになりワークショップをし、発表を聞かせてもらいました。
少し先の未来を見てみると、超高齢社会って実は自分のことでもあったりします。
我がごととして、
みんなで、一緒に幸せな社会をつくっていきましょう!
*福祉村について
https://sawarabigroup.jp/about