さわらび大学という市民講座を通年で開催していますが、そこには定年退職後の男性も多く参加しています。参加していた方からこんな話を直接聞いた事があります。

定年後、

「職なし、友達なし、やる気なし」の「3なし」だったけど、

さわらび大学に通いはじめてから、

「勉強あり、友達あり、やる気あり」

に変わったんで、毎回楽しみに来てるんですよと。


孤独でも孤立でもいいですが、

ポジティブな「Solitude」(個人が能動的・自発的に一人を楽しむこと)ならいいですが、

ネガティブな「Loneliness」(自らの意思に反して、疎外感や孤立感を味わうこと)ではないほうがいい


幸せな時は、人とつながっている時に自分が誰かの役に立てた時。

これからの超幸齢社会をデザインするには、いかにコミュニティをデザインするかがキーとなりますね。



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日本は世界に冠たる孤独大国になりつつある

 こうした流れと逆行するように、日本では、「孤独のすすめ」「おひとりさま」「ぼっち」などと、「孤独」を美化し、奨励する考え方が人気を集めているが、実はその裏で、日本は世界に冠たる孤独大国になりつつある。国際機関OECD(経済協力開発機構)の調査(2005年)によれば、友人、同僚、その他コミュニティの人と「ほとんど付き合わない人」の比率は15.3%と平均(6.7%)の2倍以上、加盟国中トップだった。オランダの2.0%、アメリカの3.1%、ドイツの3.5%などに比べると差は歴然だ。未婚率や一人暮らしの家庭も増加している。

「孤独に耐えろ」は「水を飲まずに我慢しろ」と同じくらい残酷

「孤独」とはそもそも、「頼りになる人や心の通じ合う人がなく、ひとりぼっちで、さびしいこと(さま)」を指す。「孤」は「みなしご」を意味し、誰にも頼れず、精神的に「孤立」し、苦痛を覚えるというネガティブな主観だ。一方で、日本では、「独りで独自」の時間を過ごし、楽しむことをも「孤独」ととらえられている。英語では、ポジティブな意味合いの「Solitude」(個人が能動的・自発的に一人を楽しむこと)と、ネガティブな「Loneliness」(自らの意思に反して、疎外感や孤立感を味わうこと)とに分かれているが、日本語では、「個独」という「良いこどく」と、「孤独」という「悪いこどく」がひとくくりになり、結果として、「孤独」が美化されているきらいがあるように感じる。

 人間は本来、自らの生存のために、何より、他者との結びつきを必要とする「社会的動物」だ。敵を倒すために共に戦う。食べ物を共に確保し、分け合う。孤立はすなわち「死」を意味していた。「孤独」は、のどの渇きや空腹、身体的な痛みと同じ脳の回路によって処理され、同等、もしくはそれ以上の苦痛をもたらす。そのつらさを避けようと、水を飲んだり、食べ物を口にするように、孤独な人も「苦痛」から逃れるために、自らつながりを求める。これが人を孤独から遠ざける、本能的なディフェンスメカニズム(防御機能)の基本的な仕組みだ。つまり、孤独な人に「孤独に耐えろ」というのは、水を求める人に「水を飲まずに我慢しろ」というぐらいに残酷なことでもある。しかし、我慢強さが美徳の日本では「孤独」という気持ちにフタをして、それに耐えるべきだという精神論がまかり通っている。

 孤独には「コミュニティ」と「コミュニケーション」の欠如という二大要因がある。前者の観点で見ると、「地縁」「血縁」という昔からのセーフティーネットが都市化や核家族化などで消滅しつつある中、それに代わる「コミュニティ」が欠落しているのが日本社会の大きな問題だ。家族以外のネットワークやコミュニティ、ボランティアや地域活動への参加などといった社会や地域における人々の信頼関係や結びつきを表す「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」が極端に低いのだ。イギリスのレガタム研究所の2017年版のランキングによると、日本は全世界149カ国中、101位。先進国中では最低で、ルワンダ、イラン、ニカラグア、ザンビア、ガーナなどを下回った。日本はほかの指標、例えば「健康」や「安全性」などでは高い数値を獲得しているが、この「ソーシャル・キャピタル」だけが突出して低い。

「仕事が、生きがいなわけではない」。そう思っていても

 全国民の問題となりつつある孤独だが、特に事態が深刻なのが、中高年の男性だ。

 前述のOECDの調査では、「友人や同僚もしくはほかの人々と時間を過ごすことのない人」の割合は日本の男性が16.7%と21カ国の男性中、最も高かった。平均値の3倍に近く、スウェーデン人男性の約1%、アメリカ人男性の約4%などと比べても突出した水準だ。

 その背景には、日本の特殊な労働文化がある。長時間労働の中で、友人や趣味などを作る暇もなく、汗水たらして働き、気がつくと退職の日を迎えるという人も少なくない。今や就業人口の約9割が「サラリーマン」。散々、「やりがい」を搾取された挙句に、定年で会社システムから「強制退去」という憂き目にあう。転職することもなく、一生、同じ会社に働き続けることの多い日本のオジサン。40年近くも引っ越しもせず、住み慣れた「家」を追い出される恐怖感・絶望感は、例えようのないものだろう。

「仕事が、生きがいなわけではない」。そう思っていても、やりがいや仲間、居場所を提供してくれていた職場を失い、「認められない」「必要とされていない」といった思いにとらわれる。まるで、自分が「透明人間」になってしまったような寂しさと満たされぬ承認欲求を抱えた「不機嫌なオジサン」が増えていく。都内の精神科医は「サラリーマン男性の場合、退職して、肩書きを失うと、何者でもなくなってしまう。家庭内でも外のコミュニティでも居場所が見出せず、気がつけば趣味もなく、被害者的になり、何でも他人のせいにするような歪んだ精神構造になる」と指摘する。

 もう一つ、「男性の孤独」の裏にあるのが、「男のプライド」という厄介な代物だ。特に、終身雇用、年功序列制度という「タテ社会」の中で、上意下達の「ポジショントーク」を40年間続けると、フラットな立ち位置で胸襟を開いたコミュニケーションがなかなかできなくなってくる。話すこと自体を目的とし、地球が滅びるまで面と向かって営々と話し続けることができる女性と、コミュニケーションは目的を達成するための手段であり、スポーツやゲーム、お酒など、何らかの介在がないと話しづらい男性とでは、「コミュ力偏差値」に差が出やすい。

 実際に、こうした要因から、定年退職後に、家に引きこもる高齢男性が激増している。別にいつも人と群れることをおススメするものでもない。趣味でもいい、近所の友人でもいい、何らかの形で社会とつながりながら、一人の時間を楽しむ準備と心構えを現役の内からしておくことが必要だろう。終活もいいけど、たまには「集活」も、ということだ。不機嫌なオジサンが減り、元気ではつらつとした楽しそうなオジサンが増えれば、日本社会を覆う閉塞感も少しは払しょくされるのではないだろうか。オジサンたちが「孤独というオリ」から解放され、動き出せば、景気だって刺激されるかもしれない。「オジノミクス」で日本を元気に! 「ウーマノミクス」の陰で、置き去りにされつつある「オジサン」セクターの活性化は日本再生のカギを握るかもしれないのである。