ロンドンはもうだいぶ寒くなりました。
ブラジルに向かう前は、イギリスのわりに暖かいな~っていう印象だったのが、帰ってきたら、やっぱりイギリスだなっていう気候となりました。
寒いのもそうだけど、ぐっと雨が増えましたね。
日本の雨の降り方とちょっと違って、例えば、午前中だけしとしと降って、午後晴れて、また夜しとしと降り出す、っといったように、いつも愚図ついた天気。常に曇り空。
日本の場合のほうが、もっと雨と曇りと晴れがはっきり分かれてる印象がありますね。
さて、ブラジルのセナのお墓をお参りした時の話をしたいと思います。
ブラジルに着いた初日、水曜日のお昼ぐらいに、フジテレビの川井さんに一緒に行きませんか? って電話して、セナのお墓に行ったんです。
ブログのネタにもなるしってぐらいの軽い気持ちで。
ところが、お花を買って、いざお墓のある公園の入り口に着いた時には、なんだか胸が苦しくなってしまいました。
セナのお墓のある場所は、墓地の真ん中の11番ということでしたが、公園に入った瞬間どこだか探すこともできませんでした。
周りの人に一番花がいっぱいあるところだよっと言われても、もう周りを見渡すどころじゃなく、一歩一歩踏み出すのさえ躊躇してしまうような、彼の死からもう12年という月日が経っているのにも関わらず、初めて訪れる彼のお墓を目の前にして、初めて彼の存在を現実のものとして認識し、そして、その存在がもうすでにこの世にいないという辛い現実を再確認しなくてはならなかったからです。
今まで、カートをやり始めた12歳の時から、「憧れのレーシングドライバーはもういなくなった。
なぜなら、すべてのドライバーはライバルだから。」という答えをしてきたけど、やはり、僕の中でアイルトン・セナは、とてつもなく大きい存在だったんだと気がついた。
セナがいなければ、もし彼がF1ドライバーになっていなかったら、今僕がこうしてF1ドライバーになっていたかどうか定かではない。
幼い頃の僕が、セナの走りを見て、どうこう分析できるほど知識はなかったし、どういう人間で、どういうドライバーだったかなんて、分かるわけもなかった。
ただ金網越しに見ていたF1パイロット、アイルトン・セナ。
初めて会えたのが、今にも雨が落ちてきそうな厚い曇り空のサンパウロの彼のお墓であったことが、ただただ悲しかった。
本当は今の僕の状況で、彼と話したかった。何か答えが欲しかった。
何を考え、何を思い、何を求め、どう生きたのか?
でも、その答えをセナは、僕にインテルラゴスでくれたように感じた。