こんにちは、山本耕平です。
今日はイタリア語文法のうち、
ちょっとややこしくて間違いやすい箇所を完全に理解するべく、
イタリア語のレッスンを受けて参りました。
日本語で書かれた文法書を使ったり、
伊和辞典を使う段階から次のステップへ、
「イタリア語をイタリア語で学ぶ」段階に入って来たなあ
と感じています。
(遅ればせながらではありますが)
わかる喜び、新しいことを学ぶ喜びっていいですね。
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■さて「歌うように話し、話すように歌う」
という言葉をご存知の方も多いと思います。
偉大なる先人の教えなのですが、
本当にそのとおりだなあ、と僕が思えるようになったのは
実はつい最近のことです。
■僕の例でいくと、
話し声の使い方が悪いために必然歌い方も悪く、
長らくこの教えを実践しようにも出来なかったのです。
■歌い方の問題点をしっかり把握できてくると、
話し方の問題点もはっきりとわかるようになってきます。
そしてその2つの声の発し方が
だんだんと近づいてくるのを感じました。
話し声の軽やかさが歌い声に宿り、
歌い声の豊かさが話し声に宿ってきます。
長く話していても疲れがたまらなくなり、
歌っていても話し声にダメージが来にくくなります
(いつも完璧に実践できるわけではないので
ダメージの残る日もよくあります。精進精進。)
■プロの方で、リハーサルや本番以外は一切喋らない
という特別な例を除いて、
おそらく普通の人は、歌うよりも話す方が
頻度が高いのではないでしょうか。
話し方を、歌い方と同じように研究して改善することが
とても重要だと思うに至ったのは
先生が度々その重要性についてお話になったからですが、
自分でも少しずつ実践しながら効果を感じたことと、
色々な人の歌声と話し声を例に挙げながら
先生がその関連性についてお話しくださったことで
歌い方の癖には、話し方の癖が
大いに反映されていると実感したからなのです。
■話し方を軽んじると、
例えば歌っているときだけ発声の仕方に気をつけて、
あとの多くの時間を無意識に過ごしてしまうことになります。
「間違ったやり方をずっと練習しておいて、
いざというときだけ正しい方法に切り替えようとしても
上手くは行かないでしょう」
と、先生は口酸っぱくおっしゃいます。
■ただここで気をつけなければいけないのは
例えば、掘った作り声で歌っている人が、
それと同じ声でおしゃべりしたところで、
真に「歌うように話す、話すように歌う」
を実践をしたことにはならない点です。
こればかりは地道に勉強・研究していくしかないですし、
僕自身もそれが真に実践出来ているか
いつも自身を疑いながら研究を重ねています。
いずれにせよ、
歌い方だけでなく、話し方はばかにできない
重要なものであり、
話し方と歌い方にいい意味での関連性が出てきているかどうかが、
現状の良し悪しを判断するひとつの目安になるのではないか
なんてことをなが~い回り道の末に感じている
今日この頃です。
「歌うように話し、話すように歌う」
なるほど、奥の深い言葉です。
-------まとめ------
■喋り方に気をつけることは歌に役立つ。
■歌のレッスンは週に1度とか2度くらいのもの。
しゃべっているのは毎日。
■喋り方の癖と歌い方の癖には関連性があり、
悪い喋り方を放置することは、悪い方法を練習し続けて、
レッスンのときにだけその癖をなくそうとするようなもの
■「歌うように話し、話すように歌う」を
『正しく』目指したい
引き続きよい連休をお過ごしください!