琢磨会もそのうちの一会派ということになるのかと思いますが、大東流にはたくさんの会派があります。

 

武田惣角は、各地を放浪しながら、その地方の名士に教授しました。

合気道の植芝盛平もそのうちの1人です。

その時期や習った期間によって、違うようです。

 

色んな説がありますが、大東流は武田惣角以前がほとんど分からない珍しい流派です。

しかし、創作というには膨大な量と体系の技があるので、武田惣角の創作ではないでしょう。

 

会津の殿中武芸である御式内というものを母体に、小野派一刀流と直新影流の経験を活かして、武田惣角流の武術を創り上げたというのが真相かと思います。

 

続く