【苦しい立場での立候補】


僕が初当選させていただいた平成19年4月の地方統一選挙では、


民主党で公認を受けた新人候補2名も当選したので、


結果としては理想の形となった。


いわゆる選挙は結果だから、そう言った意味においては


一番良い形になったと言える。


それだからこそ、


今となれば当時の苦しい状況もブログで書く事ができる。


今回のねじれ選挙は、見る人によっては


「衆議院議員の誕生からずーっと、公設第一秘書として一緒に活動して来たのに、


統一地方選挙の直前になって急に秘書を辞め、無所属で立候補をするということは


民主党から見れば明らかに“造反”候補だ」と


言われても仕方が無い立場だった。(もちろん事情は異なるのに・・・。)




そして僕が何より苦しかったのは、


僕自身の政策やプロフィールを載せた「後援会リーフレット」制作する際に、


「山本直史君を応援します」という部分において、


前沢勝之議員と伊藤晶議員は推薦者となっていただけたが、


私が秘書をしていた田嶋議員は


民主党公認候補を全力で応援しなければならない立場なので、


結果として僕の推薦者として名を連ねていただくことは出来なかった。


まぁ考えてみれば当然のことかもしれない。


というのは仮に元秘書の僕が当選して、


民主党公認候補のどちらかでも落選していたら、


田嶋議員は民主党に対する反党行為を行ったことになってしまうからだ。



しかし、僕の方が困っていた。


いろいろな質問も来た。


「そもそもあなたはなぜ民主党から立候補しないの?」


「田嶋議員とケンカをしたの?」などなど。


そして、そもそも山本直史という人物が千葉に住むようになった理由や


、市議会議員に立候補することになった経緯は


田嶋議員との出会いからスタートしているので、


その部分をしっかりと有権者に伝える場合において


田嶋議員がリーフレットに載っていただけないことが苦しい状況だった。




【中央区から稲毛区へ引越し】


しかし、悩んでいても仕方がないので活動を開始した。


秘書を11月末で辞め、選挙事務所を借りて本格的な準備活動に入った。


当然、無職なので半年間(11月~4月)まで収入はゼロ。


妻は専業主婦で息子は2歳。


そして以前にブログで書いたように、


中古の戸建て住宅を購入したばかりだったので、貯金もほとんど無い。


しかも活動を開始すると


「山本は中央区に住んでいるのに稲毛区で立候補するらしい」という


噂も出始めた。


そして、当選するためには中央区から稲毛区へ


引っ越しをしなければならないと決意し、


年明けに賃貸マンション(稲毛ファミールハイツ)へ引っ越しを行った。


そして本当に最悪な事に、引越しの一切を全て妻にやってもらった。


今から考えれば、本当にここまで無計画な男によくついて来てくれたと思う。


※現在では撤退スーパー跡地を活用して地域活性化のために


「街の駅オークヒル」を運営しているのが、まさにこの稲毛ファミールハイツです。



続く・・・。