【選挙という非日常】


選挙の時はマスコミ報道も白熱するし、市民も熱くなる。


特に政権交代がかかる選挙は投票率も上がるし


政治に対する関心も高くなり世の中は大いなる盛り上がりを見せる。


僕は秘書となり地元を担当することになった。


しかし、選挙戦が終わりしばらくすると


「一体あの時の熱気はどこに行ったんだ・・・?」


と思うほど、急に街は静かな感じになる。


いわゆる日常の風景だ。


それほど、選挙というのは非日常な光景だった。


当選以来、毎朝の駅頭活動でビラを配ることが


議員も秘書も日課となったが


駅に立っていると・・・


「君たちはまぐれで当選したんだよ」


「まさか当選するとは思わなかった」


「頑張って!期待してるよ」


と当選後はいろいろな声がかけられる。


それでも、僕はとにかく、


「皆さんが選んだ選択は正しかったんだ」ということを証明するためにも、


秘書としてできる限りのサポートを行った。




【議員秘書の仕事】


2003年11月の総選挙で民主党は過半数を取れなかった。


従って民主党所属の議員は「野党議員」ということになる。


政権与党の議員と比べれば陳情などの件数は比較的少ない。


そして地元の秘書が行う仕事はといえば、


「次の選挙に備えるための地盤作り」がメインの仕事である。


有権者や支援者からすれば、せっかく選挙で


国会に送り出した議員には国会でバリバリ活躍して欲しい!


と思うのが有権者の本心だとは思うが、


「国会」という小さなコミュニティの中において、


新人はどんなに優秀な人材であっても新人に過ぎず、


やはり当選回数が発言力も含めて幅を利かしているのが実情だ。


選挙で当選をしなければ議員にはなれないし、


議員にならなければ国会で活躍ができない。


そういう意味においては


「1期生の最大の仕事は2期目に当選すること」なのだ。


自民党の現職議員の落選と新人落下傘候補の当選という、


半世紀以上続いた保守王国千葉における政治の序列を変えたという


衝撃はしばらく続いた。




【土地勘さえない状況】


僕はと言えば、千葉市に引っ越してきてから


約3か月で転職して秘書になったのだが、


地元の市民は私のそんな事情など全く知らない。


陳情の受付や様々な依頼に対する対応はすべてがはじめてだった。


そもそも地元事務所をどこに構えるか、


電話回線は何本引くか、


駅で配布するビラの印刷は、


地元事務所と国会事務所との連携は・・・・


新人国会議員の地元秘書という仕事は、


何もかも新しいチャレンジだった。


そして、何よりも厳しかったのは僕自身に土地勘が無く、


地名も正しく読めない場合だってあった。


例えば、川崎に登戸(のぼりと)という地名があり、同じ漢字で


千葉市中央区に登戸(のぶと)という地名があるのです。


加えて、僕自身千葉市には何の人脈もないので、


地元の各種団体も当然わからない。

そんな状況下だが、出来る限りの事をやった。


日々の活動は早朝の駅頭活動を行い、


議員の行動スケジュールを調整し最も効率良く


地元の会合などに出席できるよう調整を行った。


そして出来るだけ多くの会合の出席するため、


自らが運転手役も行った。


出会った方々の名刺を整理し、


後援会につなげる名簿づくりや、

議会での活動を報告する会報誌作成、


国政報告会の開催、国会見学やイベントの開催、


後援会ニュースのポスティング等も行った。


これらはとても地道な作業だが、その積み重ねが非常に大切なのだ。


とにかく「今回の当選がまぐれと言われないように、


二期目も選挙で当選できるように様々な活動を続けていた。




続く・・・