自分が無いのではなく、社会での交流によって、自分という存在がつくられていく人もいます | placidity relax salon 〜Anima 〜/ボディケア・ハーブ・アロマ

placidity relax salon 〜Anima 〜/ボディケア・ハーブ・アロマ

〜自然を感じる
    心から生きる〜
.
豊かな心を安め、育む
リラックスサロン。

心地よい指圧に、呼吸が整う
至福のハーバルオイルトリートメント。

あなたの夢を大切に。
心から、豊かな人生を✨





こんにちは^^
お立ち寄りくださりありがとうございます🌿



┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈



自分自身を含めですが

外の世界をよく見ている人は、
人の多い場所や、
情報が多くガヤガヤしている場所だと
自分という存在が分からなくなってくるのだろうな…と思います。



外界との境界線が薄くなっています。



地方から、
人の多い場所へ引っ越しをして約2年。
やっと今の環境に慣れてきたというのか、
この場所に越して住んでいる自分を
受け入れられたというのか。




人の多い場所から、
広々とした公園に行って
今までのことがサーっと流れてきました🫧




外をよく見ていたり、
見ようとする人は
自分の存在を保とうとするが為に、
身体を通し、様々な反応を起こして
教えてくれているのかもしれない
と、ふと思いました。

外の世界と自分とを切り離してくれている
ということです。





地面に植えられた木々は
成長スピードが遅く、
私たちの目には動いていないように見えますが
ただその植物自身のスピードで
成長しているだけのようです。


流れの早い中に自分がいるときは、
動かないもの、
ただそこに在る存在を目の前にすると、
動かない力を感じて落ち着きます。







外の世界を見ることも、
今の自分の現状を知る為に大切ですが
見すぎると飲み込まれたりするので
危険だなと思います^^



ただでさえ、見えるものを
余計に行おうとしてしまうと
疲れるものです🙀





暇だと、スマホを手に取り
色々と流し見をしてしまう自分もおりますが
スマホの見過ぎによる疲れも多いので、
気をつけたいなと思います💡




┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈ ┈




▶︎Anima〜healing space〜