「ゴールデンウィークの代名詞」こと福岡市の「博多どんたく港まつり」、
最終日となる5月4日(みどりの日・木曜日)のどんたく広場は14時から18時半と初日より1時間短くなっています。
初日は到着点寄りの福岡・天神側から見物しましたが、最終日は出発点寄りである博多区の土居町地区側から見物することにしましょう。
13時半、最後の車が土居町を通り過ぎた時点で
いつもの国道202号「明治通り」は歩行者天国の「どんたく広場」へ変身、
明治通りの起点である博多区の呉服町交差点では福岡県警の大型車がバリケードの役目をしています。
私達見物客の為に本当にお疲れ様です。
14時が近付くに連れ出発点では横断幕が揚げられ
どんたく隊をエスコートする福岡ボーイスカウトの皆さん
その後方には最終日に於ける最初のどんたく隊である「福岡市消防音楽隊どんたく隊」が待機をしています。
14時05分、
消防音楽隊どんたく隊が土居町出発点をスタート、
最終日のパレードが始まりました。
人命救助という日頃の厳しい業務の合間を縫ってこの日の為に一生懸命練習してきた消防音楽隊、
パレードの最初に相応しい風格がありました。
消防音楽隊どんたく隊の頼もしい後ろ姿に続くのは「どんたくの華」である西鉄の花自動車、
初日と同じく3台体制です。
ところで毎年5月3日と翌4日にかけて開催されるどんたく、
肝心などんたく広場でのパレードに関しては初日が「一般どんたく隊」、最終日はマーチングパレードと題した「学校どんたく隊」がメインとなっています。
まずは「幼稚園・小学校・中学校の部」から、
最初に登場したのは福岡市内・東区に所在する福岡いずみ幼稚園の園児達、
その可愛い姿は私達見物客を癒やしてくれます。
何故か「幼稚園・小学校・中学校の部」に福岡市内・中央区の「福大大濠(ふくだいおおほり)」こと福岡大学附属大濠高校の卒業生による
「福大大濠OBうらっちバンドどんたく隊」
が登場…、
文武両道の進学校、そして全国的には男子バスケットボールの強豪校として名高い福大大濠、
従来の男子校から2012(平成24)年度より共学化されたことによって女性の卒業生も目立ちました。
福大大濠以上にビックリしたのは「創価学会福岡鼓笛隊どんたく隊」、
主催者である福岡市民の祭り振興会の臨機応変な対応には毎年のことながら感心させられます。
どんたく隊には必ず「参加番号」が割り当てられますが、その参加番号748番に該当するのは
僕の出身地である福岡県筑豊地区に所在する
「嘉穂郡桂川(けいせん)町立桂川中学校」
「嘉麻市立稲築西(いなつきにし)義務教育学校」
「田川市立田川東中学校」
「田川市立田川西中学校」
飯塚市の「近畿大学附属福岡高校」
5校合同のどんたく隊、
僕の母校である嘉麻市立稲築西小学校と同じく稲築中学校を統廃合した上でこの4月に開校した稲築西義務教育学校は薄緑色のTシャツが目印です。
僕の母校の生まれ変わりだけあって土居町出発点から福岡市役所前に設置された福岡市役所到着点まで走って追いかけましたが、既に到着点は通過…、
解散場所である天神中央公園にて記念撮影をしていました。
稲築西義務教育学校の皆さんが着ているTシャツの裏には英語で
「イナツキ ニシ コンパルサリィ エデュケーション スクール」
とプリントされていますが
ボーイスカウトの子供さんが持っていたプラカードは3月末を以て閉校した「嘉麻市立稲築中学校」の校名が残されていました。
ついでに言いますと田川市に所属する2校の公立中学校も統廃合によってこの4月に開校したばかり、
義務教育学校を合わせて8校が所在した田川市内の公立中学校も今年度2023(令和5)年度からは一気に3校にまで激減してしまいました…。
そういう意味では「貴重なプラカード」となりました。
すっかり話が出身地志向となってしまいましたが、元に戻してパレードは「高校の部」へ…。
すっかり「どんたくの顔」と化した精華女子高校の吹奏楽部
パレードには初日に引き続き2日連続での参加です。
纏(まとい)が特徴的だった熊本県玉名市の「専修大学玉名高校どんたく隊」、
高校ではありませんが「福岡ファイヤーバードバトンチームどんたく隊」、
OBではなく現役の高校生による「福岡大学附属大濠高校吹奏楽部どんたく隊」、
そしてはるばる関西から初参加となった京都市伏見区の「京都橘高校吹奏楽部どんたく隊」が高校の部のラストを飾り
マーチングパレードの殿を務めるのは「大学・一般の部」、
公立高校関係としては唯一の参加となる福岡市内・東区の「福岡県立香椎高校吹奏楽部OB会どんたく隊」は老若男女幅広い年齢層で構成されています。
ちなみに香椎高校は難易度が高いです。
「香椎高校はムズ香椎!!」
「明治通り」、いやどんたく広場沿いに位置する川端町商店街もどんたく一色、
初日に博多松囃子と共に先頭にたった高砂連による巡回が行われていました。
どんたく隊の解散地点が天神中央公園ならば集合地点は冷泉(れいせん)公園、
我が国屈指の歓楽街である博多・中洲のオアシスでは順番を待つどんたく隊や
最後のミーティングを行っているどんたく隊で賑わっていました。
初日から引き続く「他都市どんたく隊」は参加どんたく隊こそ少なめですが、タイ王国からは2日連続での参加です。
「タイ王国どんたく隊」、初日に引き続きムエタイを披露していましたよ。
時間は刻々と過ぎ、「一般どんたく隊」の出番となります。
福岡市内・早良(さわら)区の「西南学院大学どんたく隊」、
西日本地区でも屈指の難易度を誇る名門私立大学として福岡市内・城南区の福岡大学と共に福岡県内の高校生にとっては憧れの存在となっています。
創価学会と同じく新興宗教系の「金光教マーチングパレード隊どんたく隊」に続き
福岡市内・南区の「九州大学大橋キャンパス芸工祭どんたく隊」、
前身である九州芸術工科大学時代から独特のデザインの衣装で参加しています。
「RFCチアダンスwith福岡トヨタチームどんたく隊」は世界のトヨタがバックなだけに大規模、
勿論、トヨタ車もどんたく隊の一員です。
それにしてもトヨタ車はカッコイイですね。
「福岡学生けんけつどんたく隊」は
将来の医療従事者だけあって皆マスク姿で
献血への協力を呼び掛けていました。
どんたくパレードに参加するどんたく隊は殆どが「1日のみ」の参加、
両日共に参加するどんたく隊は少数派です。
その中にあって「学校法人宮田学園どんたく隊」は両日共に参加、
多国籍な学生さんにとって日本国・福岡県の博多どんたく港まつりはどのような思い出として心の中に残るのでしょうか。
両日共に参加するどんたく隊と言えば「粕屋町どんたく隊」もその1つ、
長きに渡り2日連続でどんたく隊の殿を担当していただけに「粕屋町どんたく隊」イコールどんたく隊のラストという固定観念が抜けません。
どんたく隊には「どんたくコスプレパレードどんたく隊」のように現代っ子を意識した団体も参加しています。
「Re:member3.11九州フラガールどんたく隊」、
我が国に於けるフラガールによるフラダンスは福島県いわき市の大規模娯楽施設『常磐(じょうばん)ハワイアンセンター』がパイオニア的存在、
あの東日本大震災の発生から今年で干支が一回りしたわけですが、私達は決して風化させてはなりません。
「九州フラガールどんたく隊」は2016(平成28)年の4月に発生した熊本地震の復興を願っています。
被災した地域同士ではないと伝わらない絆もあります。
最終日の殿を務めたのは「博多町家ふるさと館どんたく隊」、
福岡市議会議長賞を受賞した名誉などんたく隊の後ろ姿が遠ざかると
無人の人力車が登場、
土居町出発点にて人力車に男性が座り込み、初日と同じくオープンカーのVIP隊、
約3時間振りにどんたく広場へ戻ってきた西鉄の花自動車の順に続き
2名の福岡親善大使のうち、初日は不参加だった神元七海さんもしゃもじを持って笑顔で登場、
花自動車を殿に
初日と同じく高島宗一郎市長が沿道の見物客に手を振ります。
「明治通り」、いやどんたく広場を垂直に流れる那珂川からは
水上バス「リバークルーズ」に乗船しているお客様も手を振っていました。
那珂川を渡ってすぐの場所に設置されたどんたく広場の本部拠点では
福岡市内・早良区のRKB毎日放送(TBS系列)に所属する坂田周大(さかた・しゅうだい)アナウンサーが総合司会を担当していました。
坂田アナは実績豊富なイケメンアナウンサーであり「福岡に於ける夕方の顔」として抜群な知名度を誇っています。
坂田アナの実況と共に始まったどんたく広場のラストプログラムは「総おどり」、
規模を縮小して開催された昨年2022(令和4)年は実施されなかったので4年振りとなります。
見物客の皆さんが総おどりに夢中となっている最中のこと、
坂田アナから
「我らが福岡ソフトバンクホークス、
福岡ペイペイドームでは延長11回の裏で栗原選手がサヨナラ打を放ってくれました!!」
皆大喜びだったのは当然です。
嬉しい報告を聞いてどんたく広場に於ける全てのプログラムは終了、
18時半過ぎには黄色い清掃車が通行し
どんたく広場は国道202号「明治通り」という日常に戻ります。
それに伴い案内所のテントも解体が始まっていましたが
本日は2023(令和5)年5月5日(こどもの日・金曜日)、
この日付の読売新聞は
坂田アナが伝えた栗原陵矢外野手のサヨナラ打による福岡ソフトバンクホークスの勝利
それに博多どんたく港まつりが無事に閉幕したことを知らせる記事が載っていました。
4年振りの通常開催となった今年は5月3日と翌4日の両日で約210万人が訪れたと言います。
最後になりましたが、博多どんたく港まつりに携わった全ての皆様方、
本当にお疲れ様でした!!
私は福岡県在住の「社労士」こと社会保険労務士です。
私は2012(平成24)年の11月から4年間に渡り
「合格基準が透明な社労士試験」
「受験生の努力が報われる社労士試験」
の実現を目指して日々奔走されていたtktk様の活動を誇りに思っております!!