「母校」は更地と化するも…。 | 福岡の団塊ジュニア世代進路アドバイザー特定社労士・山本幸司のブログ

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生粋の福岡県人である「特定社労士」こと特定社会保険労務士によるブログです。

1996(平成8)年の9月26日(木曜日)、

僕は福岡県山田市、現在の嘉麻市山田地区にかつて所在した福岡県立山田高校へ「入学」しました…、

というより正式には1992(平成4)年度より開催されていた社会人向けの公開講座

「山田高校学校開放講座 基礎英会話教室」

のイチ受講生として参加したに過ぎませんが、毎週木曜日の夜に開催されていた講座は高校の母校が存在しない僕にとってはまさに「高校生活」でした。



その思い出深い山田高校も福岡県教育委員会による県立高校統廃合の対象校となり、2007(平成19)年の3月限りで「嘉麻市の高校」として閉校、

長らく「空き校舎」となっていましたが、遂に昨年2021(令和3)年の7月より解体工事が始まり、今年の年明けには


国道322号と並行していた


「本丸」も防音壁に囲まれてしまい


重機の手によって


着々と自然へ戻され


やがて国道322号から見えていた景色は更地へ…。


知らない人が見たら「工場の跡地」と思うでしょうね。



ただ、いくら更地化しても


敷地内への立入禁止状態は続いています。



ところで更地化された山田高校の奥には病院らしき建物が見えます。



筑前山田赤十字病院改め嘉麻赤十字病院、

日本赤十字社が運営する医療機関の中では小規模となりますが、


その割に診療科は多いです。
 


実は嘉麻赤十字病院、

かなり前より山田高校の跡地を日本赤十字社へ払い下げの上、新しい病棟を建設する計画が嘉麻市議会より出ていましたが、中々進まず…、

患者さんにとって小さい病棟はまだしも、駐車場の狭さには誰もが困っていました。



よく見ますと嘉麻赤十字病院の敷地内には記念碑があります。

「山田市立山田南中学校跡地」


山田市には1978(昭和53)年の3月まで2ヶ所の中学校が所在し、それぞれ「山田北中学校」「山田南中学校」と名乗っていました。


それじゃ、もう一方の山田北中学校ということになりますが、


山田南中学校と統廃合の上、「山田中学校」と改称。

山田市が平成の大合併により嘉麻市となった現在も山田北中学校の跡に所在しています。



話は再び山田高校に戻りますが、嘉麻赤十字病院のお隣には薄いピンク色の建物があります。



この三角屋根が特徴の建物は山田高校の支援団体である(財)古峰(こほう)会が運営していた「修明館」、


幸いにも解体を免れました。



色はだいぶ褪せて来ましたが、


まだまだ使える立派な建物


何と言っても1987(昭和62)年に建てられていますからね。



校舎こそ過去帳入りしましたが、 

記念樹林


校歌と校訓の碑


山田高校の歴史を「3つの時代」で振り返る写真付きのパネル




1996(平成8)年の3月に閉鎖された定時制課程の記念碑、


嘉麻市のコミュニティバス「嘉麻市バス」のバス停にも「旧山田高校」という名称が残っていますし、


山田高校の跡地、いや敷地内を流れている小川「サワラテ川」には毎年6月ともなるとホタルが沢山現れます。



新しい日赤病院が誕生した暁には患者さんにとってオアシス的な存在となるでしょうね。


それともう1つ、

僕が山田高校へ「入学」した日、つまり1996(平成8)年の9月26日(木曜日)に天下の東京駅の


向かいに位置する東京中央郵便局から


1通の定型外封筒が福岡県へ向けて出発しました。



目的地は当時の福岡県嘉穂郡稲築(いなつき)町、現在の嘉麻市稲築地区にかつて所在した僕の自宅、

封筒の中身は「大検」こと大学入学資格検定の合格証書でした。



あの日から今年で26年の時が過ぎたわけですが、これからも生涯に於いて大切な日であります。





私は福岡県在住の「社労士」こと社会保険労務士です。


私は2012(平成24)年の11月から4年間に渡り

「合格基準が透明な社労士試験」

「受験生の努力が報われる社労士試験」

の実現を目指して日々奔走されていたtktk様の活動を誇りに思っております!!