人生、50年近くも生きていますと様々な人達に出会うものです。
幼なじみから始まって、学校時代の友人や教員の皆様方、先輩に後輩、社会へ出ますと同僚や上司、部下、
人によっては恋人とも…。
生粋の福岡県人である私は昔、同学年の幼なじみがいました。
仮に彼をF君としておきましょう。
F君との出会いは保育園の時まで遡ります。
小学校も同じ学校で過ごし、時期によっては同じクラスになったこともありますが、中学校は別々となります。
F君は地元の中学校へ進学するも家庭の事情で1ヶ月後に同じ福岡県内でも「都会」と呼ばれる地域に引っ越し、
一方の僕は隣接する自治体の中学校へ進学しました。
一般的にお互いが離れ離れになりますと友人関係も「自然消滅」するものですが、彼との友情は以後も続きまして、転居先にて出来た友人を紹介してくれたほどです。
時を経てお互いに18歳となり、諸事情から同じ職場にて寮生活を送ることになりました。
当時は角界屈指の名力士・大関貴ノ花関の長男と次男である若花田関と貴花田関、通称「若貴兄弟」の活躍により空前の大相撲ブームで日本国内が湧いていた頃、
職場での僕達は所長や上司、先輩方から「若貴」と呼ばれていました。
しかしながら、「若貴」の仲は長く続かず、F君は僕に対して金の無心をするようになります。
当初こそ少額でしたが、段々とエスカレートし、遂には僕の名前を使って「給与の前借り」まで…。
また、先輩方も彼の金遣いの荒さには呆れ返っていました。
そして遂に袂を分かち合う日がやって来ました。
1992(平成4)年6月24日(水曜日)の未明、
その日は公休日であり、僕と彼は入社が僅かながら早かった曲者のH先輩から遊び、いや「付き人」を命じられていました。
このH先輩、同時に10人以上の彼女と付き合っていたプレイボーイ、
その中の1人からは「団塊ジュニア世代」をはじめとする当時の若者が憧れていたトヨタの高級乗用車「6代目マークⅡ」を貢いで貰っています。
寮では別々の部屋だった僕とF君、
彼との最後の会話は今でも忘れていません。
「朝になったら起こしてね」
あの日から丁度30年を経た2022年の6月24日(金曜日)、
僕は彼へ或るBGMを贈ります。
彼が「都会」に住んでいた頃、行きつけだった『S会館』なるパチンコ店がありました。
残念ながらその『S会館』はかなり前に閉鎖され、更地を経て現在では某コンビニとなっていますが、F君にとっては永遠に『S会館』なのです。
「♪パラ~ン パラ~ン パラ~ン パラ~ン
パランパランパランパランパランパランパランパランパ~ン」
私は福岡県在住の「社労士」こと社会保険労務士です。
私は2012(平成24)年の11月から4年間に渡り
「合格基準が透明な社労士試験」
「受験生の努力が報われる社労士試験」
の実現を目指して日々奔走されていたtktkさんの活動を誇りに思っております!!