50歳過ぎた人は、誕生日を公表してる人、少ないんじゃないでしょうか。
「誕生会やりましょう!」といわれてもめんどくさいし
誕生日のプレゼントをもらってもお返しがめんどくさい。
20代から終活をはじめて、定期的に断捨離を行ってる身としては
プレゼントをもらってうれしいという感覚はすでにありません。、
私みたいに、常に終活してる人っているんですよ。
もらって嬉しいのはお金です。
お金があったら、葬儀屋さんへの葬式予約「11万円密葬セット」を購入して支払います。
死亡手続きや遺品整理まで入れると30万円コースというのがあるんだそうで、
葬儀屋さんで則手続きして、終活を済ませておきたいところです。
子どもがいないので、親戚に連絡が行くと思うのですが、
私の葬儀や私の遺品整理、親戚(姪っ子)に頼りたくないんです。
手紙一通、連絡が行くだけでいいかな…と思ってます。
人って一生けん命生きれば生きるほど、
望まなくても敵も増えいきます。
どんなに腰を低くして暮らしていても、
自分が望まなくても、
一方的に向こうから敵認定されて、ものすごい攻撃を受けるんです。
気が付いたら、強敵(狂敵)や(凶敵)のターゲットになっている……
ということがあったりするんですよね。
田舎で暮らす親戚や家族は「のんびり、静かに暮らしたい」から田舎で暮らしてるんです。
不本意でしたが、私は個性的なキャラクターで、それが「お金になるほど面白い=才能」というお隅つきを
その業界のプロからいただき、「選ばれた人」になって、自然にふるまえばふるまうほど、
「どうしてあの人が!」と、嫉妬に狂って、何がなんでも私をつぶそうとする人達が現れるようになりました。
それで、不本意にも闘う人生になってしまいました。それで田舎を出て東京に住んでいます。
戦闘能力を上げて、いつでも闘える状態にしてます。
田舎で静かに暮らす私の大切な人達とは、その狂った人達の攻撃の流れ弾に当たらないように、離れるしかなかったんです。
巻き込みたくなかったんです。
東京は生き馬の目を抜く街で、才能を認められて、本領を発揮すべく頑張ってる人が大勢います。
「出る杭」として叩かれながら生きてる人達の集団がいます。
彼らは、どんなことが起きても驚かないし、
ヤバい人への対応をするときに、察して、自然にチームが出来て、さくっと対応してくれます。
東京は猛者が揃っています。
東京だったら、戦闘能力を上げて、バチバチ闘える場所があります。
だから、田舎の親戚には余計なことも話しません。
常軌を逸した攻撃を加えてくる相手と闘う話をしたって、田舎でのんびり暮らしてる人には話が通じない。
田舎でのんびり暮らしてる人達というのは、私にとって守りたい人達で、
だから離れて生きてるんです。
嫌いだから……じゃないんです。
先月、田舎に帰って痛感したのが、田舎で悠々自適で暮らしてる人には「この話は通じない」ということでした。
なので都会に出ていった薄情な人として、そのまま年をとって死のうと思いました。
私は男兄弟の中で育って「闘う」人生を受け入れる土台があって、
だから、東京に出て、戦闘能力をあげながら生きて、闘いながら生きてきたわけですが、
末期の時が来たら、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ…」を実践して、ピンピンコロリで死にたいと思います。
男が女に何も語らないのはその女の人を愛してるからで、愛が醒めたからではない…というのと一緒なのですが、
守られてる世界で生きてる女の人はそこに気が付かない、そんな映画がありますが、私は田舎で暮らす親戚や家族のことを
愛してるんです。
男の人はどんなに辛いことがあっても、何もしゃべらず飄飄として生きています。
そうしてないと、負けてしまうからです。
私も明るく生きていますが、そうしないと負けるからです。
「頭おかしいの?」と田舎の人に思われても、明るく、前を向いて、
何があっても、前向いて生きていきます。