なっちゃん♪(^-^)ノの作業室
  • 12Jul
  • 15Feb
    • 差別はない。

      辺野古基地移設問題でゆれる名護市の市長選が2月4日に行われ、保守系の候補が当選しました。辺野古の基地移設反対運動は長期間にわたり大きな盛り上がりを見せ、連日、マスコミが取り上げるのが常となっていました。(当然のことですが、特に地元メディアは熱心に報道をしておりました。)「辺野古移設反対者」はたしかに県民の中に多かったという印象があったので、今回も革新系の方が当選するのではないかと思いきや、以外なことに保守系の候補が当選したので、「おや?」と思って、沖縄の友人や親戚に電話をして、どんな感想をもっているか聞いてみました。「最高裁で結審したのが大きい。膠着状態を長く続けても、、、という考える人が増えた」というのが一番多い答えでした。政治問題が生活と密着してる沖縄では自分の考えを先に言って、相手の意見を聞くという習慣があります。(少なくとも都市部で育った私の周りではそうです)。なので、先に自分の考えを書いてから、本題に入ります。私は基地建設に反対です。基地は無い方がいいと考えています。が、北朝鮮の核兵器開発の記事やミサイル発射の緊急Gアラートを聞いたり、中国の南シナ海での行いを見ていると、危機感を持たざるをえない。国防はちゃんと考えて、しっかり備えをした方がいいという考えをもっています。「自衛隊の基地を置いた方がいい」という考えです。ただし、備えはしても、こちらから挑発することは一切してはならないと考えています。武器を持っていることを、大々的にアピールするのは挑発行動になります。挑発行動は好戦的態度で、挑発をやった側にも罪があります。制服を着る必要もないし、いつもは平服で働いていればいいと思うくらいです。孫氏の兵法でも「戦に勝つ究極は戦を行わないこと」と書かれています。平和の構築は、「闘う意志はない」と相手に伝えること、交渉のテーブルをいつでも用意する準備があるというメッセージを相手に伝えて、交渉がいつでも可能な状態にして、常に交渉を行うで平和が構築されると考えています。自分の考えは以上です。ここからは、今日の本題です。「差別について」。辺野古の反対運動では、多くの本土の運動家の方も参加されておられていたようですが、沖縄の人たちのことを考えて立ち上がってくださった「愛」のある皆様だと感じました。ただ一つ、反対運動をされている本土出身者の方と話をする機会があった時に、強く私が違和感を感じる言葉がありました。それは「沖縄の人は差別されているから自分たちが代理で闘う」「自分達は差別されてないから、罪滅ぼしで闘う」「差別されている沖縄の人のために」といった言葉でした。実は、私の世代(40代)の沖縄県出身者は、「沖縄出身者は差別をされている」という実感を全く持っていません。50代の人も持っていません。60代後半の方くらいから、チラチラと差別されていたという話をする方が出てきますが、日本復帰前に東京の学校に来て「日本語がお上手ですね」と言われた程度で、笑い話で済む話で終わっていたようです。70代、80代になると、「差別をされた」という経験を持っている方の割合が増えてきます。この世代の方になると「言葉が通じない」というのがまず大きかったのかなあと、体験談を聞いて思いました。「何を言ってるのか分からない」→「意志の疎通が取れない」→「こわい」→「関わりたくない」という言葉が通じないことによる無理解状態が産んだ悲劇。未知の生き物が隣に住む恐怖。宇宙人が隣に住んでるのと一緒です。こわいと感じた人は、付き合わない選択をしたんでしょう。これは仕方がない。自殺したくなるくらいの激しい「差別」が、沖縄出身者というだけで、無条件に差別が行われていた事実があったのか。明治時代までさかのぼります。明治維新以降、廃藩置県の余波で、他に遅れて琉球王国も琉球藩となった後、元琉球王国の住民たちも日本の教育制度のなかに置かれ、日本の教育を受けるようになりました。琉球王国時代、王府の役人「官吏」になるのに、大変難しい「科挙」がありました。首里・那覇の上流階級の士族は、子弟に子供の頃から厳しく教育を施して、そりゃあもうビシビシとスパルタ教育を行っておりました。「科挙」に合格させるためです。鎖国を行っていない琉球王国では、かな漢字交じり文だけでなく、漢文での文書を書けないと一人前とはみなされないので、学問の幅が広く、漢籍にも堪能で当たり前。さらに立ち振る舞いも選考基準にあったそうで、身のこなしもエレガンスで、美しくなくてはならない。御冠船の宴では舞を披露しなくてはならないし、グルメにも詳しくなくてはならないし、マナーも身に着けていなくてはならない。上流階級の士族は大変ストイックに努力をして、知性と教養と品格と美しさを兼ね備えた里ヌ子となり、やがては親雲上(ペーチン)、親方(ウェー方)、三司官(さんしかん)に、、というのが出世コースで、近衛兵然とした美しさを兼ね備えた高級官僚にならなくてはならない。沖縄の一部の士族の家庭では孟母三遷が当たり前で、厳しく厳しく子供を躾けて学問を身につけさせていました。廃藩置県後、教育制度が変わり、旧制中学が誕生し、帝国大学が出来て、全国一律で各都道府県の中学生たちが帝国大を目指して学問をするのですが、各都道府県の合格者数というのが、なんと、沖縄は、旧制沖縄県立二中の東京帝国大学合格者数は全国9位という上位にランキングしてたそうです。「沖縄は鬼のように子弟に教育を施す士族と、そうでないのんびりした人達が共存するエリア」で、当時から、東京帝大を出たら「末は博士か大臣か」で、沖縄出身者でも出世をしてスーパーエリートになった方が、昔からけっこうおられたそうです。証言によると、そのスーパーエリートの世界には「沖縄出身だから、琉球出身だから」という差別は全くなかったそうで、「琉球王国の官吏の末裔」「元藩士」という名乗りで、お互い敬意をもってお付き合いがあったということで、「昔から差別など全くなかった」と、士族階級の方はおっしゃいます。現在基地問題を語る時「構造的差別」という言葉が使用されますが、それは別の意味で、人種差別のことではありません。沖縄では「学問をすれば道は開ける」とよく言われました。「差別を受けて悔しいなら、努力をして、バカにされない、立派な人になりなさい。学問も人の道も、尊敬される人になりなさい!」と尻を叩かれるのが普通でした。もともと琉球王国の末裔たちは、7割が士族階級なので「努力をして科挙に受かれば王府の役人。勉強が苦手だったら、半農半士か、商いでもして頑張って生きてね!」というのが普通なので、7割が「うちは士族だから、がんばって努力すれば、バカにされない!差別されない!」と努力をしてしまう。ヤル気に火をつければ、一生懸命努力をするのがウチナンチュ。それで努力をして成功体験をした人達が続々あらわれて、明治政府が出来てから100年以上経っていると、「差別?なんの話ですか」という方が、主流になっております。「沖縄の人は差別されてるから応援するよ」と基地反対運動をしてる本土の方に言われると、「誰が?誰に?差別されてるの?」と驚く人も少なくありません。「沖縄の人は差別されていて、可哀想だから自分たちが闘っている」とおっしゃる方が、本土の運動家の方には以外によくいらっしゃるのです。ところがどっこい、今の沖縄の若者は名門私立のお受験をかいくぐり、スーパーエリートの道まっしぐらで、米軍基地があるおかげで英語に親しみ英語はペラペラ、いっそのこと英才教育をしてしまおうと、親御さんたちが子供達を英会話スクールに通わせて、美しい英語をマスターさせて、高校生でTOEICで高得点を出したり、天才児か!という子供達が少なくありません。親も英語を使って外資系勤務。華やかな生活を手に入れていたりします。私は県立高校出身者ですが、高校の同級生に宇宙開発事業団の研究員になったのが3人、医者も20人近くいるでしょう。沖縄出身だからといって特例があったわけではありません。普通に難関を突破して医者になった人達です。同級生にはバラクオバマの通訳になった女性もいます。三菱商事の総合職になった人(女性)が3人います。こつこつ勉強をして、人生を自分で切り開いていった人達がいます。彼らが対外的に、沖縄出身で差別されているか?全く差別されていません。むしろ、ストイックに努力をして生きる習慣がある彼ら、周囲の方からリスペクトされてます。沖縄タイムや「てーげー」とも無縁で、ヤマトンチュ―のように几帳面で誠実。むしろその辺のヤマトンチュ―より、几帳面で、潔癖症な人もいるくらいで、沖縄出身者だから〇〇というのは当てはまりません。努力をして自分の道を切り開いた沖縄出身者は言います。「差別なんか、ないよ」。沖縄出身で本土の大学に進学した学生を訪ねた基地反対運動の方が「沖縄の人が差別されてる。自分達は味方だ」と基地反対運動のチラシを配ったら、目の前でビリビリに破かれた、どうしてあんなことをされたのかが理解できない……、という話を先日されていました。「沖縄の学生は無茶苦茶勉強している集団がいて、特に本土に進学した学生は特に努力をしてる学生たちだから、差別とは無縁で、差別をする人がいたら、差別する人を見下して、自分は上を目指すスタンスが身についている」という事実をご存知ないのです。「皆さんは差別されているから私たちが助けてあげます」的な発言は、いわれも無き侮辱として受け取られたから、チラシを破かれてしまったわけです。私の世代(もうすぐ50代)だと、70代80代の先輩方のご苦労された話を聞いているので、「沖縄の人が差別されて、、」という話も過去にそういうことがあったというのを知っているので、「徹底して差別をなくしたいという思いがある皆さん」だと理解も出来るのですが、差別がない時代になって3世代目くらいになっている若者に「君たち沖縄の人は差別されてるから」といったって、差別されてないものは差別されてないわけで、「寝てぼけてるんですか?」と思われるのが関の山で、学校で自分は人気者で、賢く楽しく暮らしているのに、「君たち学校で嫌われて、いじめられているんでしょう。助けてあげるよ」と知らないおじさんやおばさんが、とつぜん話しかけてきたら、これは恐怖以外の何物でもありません。「私たちは差別されてる沖縄の人の味方だから、素朴で純朴な沖縄の人達のtあめに、私たちが闘っています。辺野古の反対運動をしてます」とチラシを渡されたら、チラシを目の前で破いてしまうわけです。全共闘世代のヤマトの心優しき運動家の皆さんが、そこに気が付かないで、「沖縄の若者の未来を守るために闘っているのに」と苦しんでいるのを見ると、可哀想になってしまいました。差別されたり、ハブられたりしたら、本人が努力して、現状を打破していくしかない!努力して現状を打破した人達は、逆転して人気者になります。差別なんかされません。いじめの問題も同様で、「虐められたら発奮して、虐めを行ってる奴らより、努力して、そいつらの上に行け!」と、ひたすら努力。学校で友達に集団で無視されても、一匹狼の強さを身に着けて、「絶対負けない!」クンチを出して踏ん張っていれば、いじめっ子の方が本来根性無しのダメダメ人間なので、いじめっ子の方が根負けして降参してきます。踏ん張った人の勝ちです。私はそう考えています。私のように、大阪の商人より口がうまいと言われる沖縄出身者もいます。「沖縄の人は口下手で純朴で、損ばかりしていて」というのはスレレオタイプの考え方で、「口下手で純朴な人、、、」というのは、日本の農村部でのんびり育った方なら、そういう方もいらっしゃると思いますが、那覇のような港町の盛り場で育った人は(香港よりも人口密度が高いエリア)、人に揉まれまくっています。むしろ東京の山手育ちの方の方が、ロマンチストで純朴です。沖縄でも、のんびりしたところでおっとり育った方は、本当に純朴で、私も守ってあげたい!と強く思うことがあるので、本土の運動家の方の気持ちもよく理解できるんです。ただ、沖縄の人すべてが、おっとりして損ばかりして、、というわけではない。厳しい科挙を勝ち抜いてきた琉球士族の子孫は、グローバル化した激しい競争社会の荒波の中に飛び込んで、スーパーエリートへの道を驀進してます。彼らは、「ドバイに追いつき追い越せ!」という気概で闘っています。も沖縄という狭いフレームすら既に視野になく、「世界を股にかけて活躍する!」という大きな目標を掲げて夢に驀進してます。沖縄のサイエンススクールの高校生と話をすると、子供なのに「MITに行きたい!」という話を普通にしてきます。米軍基地の存在が世界に目をむかせたというか、子供の頃から基地問題のニュースを見て、関心を高く世界情勢を見てるうちに、沖縄の子供達、特に向学心が強い子供達は、グローバル化社会に適応すべく日々、成長しています。彼らと話をしてると、昭和生まれの私なんて、もうオバアチャンなのかもと思い知らされるような気分になります。その一方、教育に集中する環境を得られずに、貧困に苦しむ子供達もいます。助けを必要としているのは彼らです。子供の貧困問題は、沖縄に限らず、今、全国的な問題です。東京や神奈川に住む私たちの隣に貧困にあえぐ子供達がいます。今、日本の中にある差別は、出身地や出自による差別ではありません。貧困、病気といったやむもやまれぬ事情があって、自分の人生を切り開く力がない人達が差別をされています。社会的弱者が差別をされている。2018年の今、差し伸べられる手を待っているのは彼らで、「沖縄」という括りの人達ではありません。明治時代も、大正時代も、差別は「貧困層」に向けられて行われてきたのであって、出身地で差別されていたわけではないようです。「差別はない!」と腹をくくって努力した人は、努力をして生きる自分の生き方が、いつしかリスペクトされるようになって、簡単に差別の呪縛から完全に解放されるはずで、かつて「いじめっこ」だった人も、同じように努力をして、いじめっ子ではなくなって、器の大きな人間になる努力をして、人生を乗り越えてきてるはずなんです。

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  • 12Feb
    • 「護得久栄昇=ゴルゴ13」説

      近年、沖縄民謡界?を席巻している人といえば、護得久流民謡研究所会長の護得久栄昇氏。登川誠仁氏亡きあとの「沖縄民謡世界のカリスマ」といえばこの人?といっても過言ではない! ような、そうではないような。あまり芸能人やミュージシャンに夢中にならない私がもしかすると20年ぶりにツボに入った三線の師匠?です。デューク東郷のようなクールなビジュアル、人を年齢・人種・性別・身分などで差別することはなく、どんな大物も自分の研究所に入会させて弟子にしてしまう圧倒的なカリスマ。「武器の代わりに楽器を」の実践者で、狙った標的を百発百中でチンダミしてアッチャメする完璧主義者。ゴルゴ13、沖縄に隠れててもおかしくないと思ってたけどやっぱり、沖縄にいたのね!!!与那覇徹さん、三線すてき~。http://www.fec.okinawa/

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  • 22Dec
    • 佐藤惣之助と沖縄メモ

      沖縄病という言葉、(あまり良い言葉じゃないんじゃ)という方もおられますが、最近、「沖縄病」という言葉を書いた昔の新聞コラムを見つけました。1974年の琉球新報の伊波南哲さんの文章で、「沖縄の病の佐藤惣之助さん」という一節です。佐藤惣之助は昭和17年に亡くなった方で、日本を代表する作詞家の一人ですが、彼は作詞・作詩の他に民俗学研究を生きがいとして、ある時、沖縄の琉歌に出会い、沖縄の言葉や音楽にほれ込み、沖縄出身で沖縄学の父と呼ばれる東京大学教授の伊波普猷(いは・ふゆう)を訪ね、「おもろ」の勉強をしてたんだそうです。大正時代に日本人としては珍しい長期間の沖縄旅行に行って、沖縄の自然の美しさや、ゆったりした時間の流れ等々に大感激。「沖縄のすべてが詩だ!」とという名言を残しているということでした。佐藤惣之助、どれぐらい凄い人かというと、村田英雄の「人生劇場」、高峰三枝子の「湖畔の宿」、それから子守歌としては大変有名な「赤城の子守歌」、阪神タイガースの「六甲おろし」(佐藤惣之助が生きているころは、阪神ではなく「大阪タイガース」だった)等々、今でもよく知られた曲の作詞者で、作詞家として活動するまえは詩人として萩原朔太郎らと交流し、詩人仲間から「天才」と呼ばれた詩人だったんだそうで、沖縄病になってから、沖縄に関する詩集を出して、沖縄愛をさく裂させています。沖縄戦で首里城が燃えて首里城が無くなってしまった戦後の沖縄の首里城の跡地(当時は琉球大学)に、佐藤惣之助が首里の宵の美しさを書いた「宵夏」という詩の詩歌碑が建てられたのは昭和34年。今ではほとんどの人が佐藤惣之助と沖縄の関係をよく知りません。

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  • 04Dec
  • 19Aug
    • 鳥 休日の工場街

      ヒッチコックの「鳥」のような光景に出くわしました。場所は横浜の外れ、凸版印刷の工場があるあたりの工場街。歩いても歩いても、電線に鳥が群れなして止まっていました。休日でどこの工場にも人はおらず、閑散とした町に鳥、鳥、鳥。鳥の群れ。気味が悪い。近未来的な工場から警備員が出てきて 眉間に皺をよせながら、おびただしい数の鳥を目視確認。(不気味だもんなあ)と思いながら歩いているとパン、パン、パーン!!と砲声が。一斉に飛び立つ鳥の群れ。うぎゃあ。こ、こわいよー。人類滅亡の日みたい。振り返ったら近未来型の大きな工場の警備員がNY市警のポリスマンのように銃を構えて、空に向かってピストルのようなものをパンパン打ち込んでいました。運動会のスタート用の音が鳴るだけのフェイクなピストルなのか、それにしても警備員の構え方が本格的でキマっていて、映画を観てるようでした。あの警備員、退職警官か退職自衛官なんだろうなと、妙に感心してしまいました。動画で撮りたかったです。映画になる光景でした。

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      テーマ:
  • 18Aug
    • もめごと

      将来もめごとに発展したらヤダな、、と思うことがあり、メモ。この年になると、いろいろな職業の方の知り合いがいます。水商売をやってる友人もいます。以前、友人が勤めていたスナック(ownerは共通の知人)でもめごとがおきました。「給料をちゃんと払わない!」というもめごとでした。「客が少ない日には、お客さんちゃんと呼んでよとowneが罰金を取る。契約の範囲内なのに休みを申請したら「客も少ないのに休まないで客呼んでよ。休む間の売上もらうからと罰金を取られた。体調不良で入院して「入院したから休ませてほしい」と電話したら、「無責任でちゃらんぽらんだな」と言われた。もう我慢が出来ない訴える」という話でした。こんなひどい話あるのかと思い、周りの人に聞いたら、ほんとに罰金とったり、入院患者に向かって「無責任だ」と悪態をついてたその店主。店主と知り合いだったのですが、面と向かって「ダメじゃないですか」というわけにもいかず、店主の方とは、なんとなく疎遠になってしまいました。食事会等でお目にかかることがあって、楽しい話や自慢話を聞いていても、内心では「この人は従業員にお金を払わない。従業員を大切にしない。女性を利用してる」と思ってるので、チクチク嫌味をいいたくなってしまうし、ほんとに楽しくない。それで、あまりその店主さんのいる集まりからは足が遠のいてゆき、それ以外の交流拠点に出入りしてビジネス情報交換をしたり、取材をさせていただいたり、または全く別分野の仕事を始めて、新しい交流の輪を作って、その中に飛び込んだりということをしてました。水商売をしていた友人の共通の友人達も、この店主さんが関わる会には出なくなって、店主さんの会社はブラック企業で労働基準法違反だってことを知ってしまった経営者の皆さんの中には、勇気をもって注意をした人もいるし、「けしからん」と怒ってしまった人もいるし、もめごとが多くなってしまったんです。私はいくつも自分の所属する社会を持っているので、一つの団体でもめごとがあったら、そこに出入りするのを止めて、別のグループで人生を謳歌するようにしているので、あまり関わりがなくなっていたのですが。最近、この店主さん、社会奉仕活動の団体に加入して、寄付をしたり、社会活動をやっていたのですが、デカくやると、新聞記者が来て「大きく自分たちの活動を取り上げてくれる」ということに気が付いてしまったようで、地方の名士として、自分の名前が上がる快感にはまってしまった様子でした。社会奉仕団体は細々と活動を続けてきた50年以上歴史のある団体で、ボランティアの方が主体となって長年活動をやってきたので、マスコミの出入りも多く、長く活動をしてるおじいちゃんやおばあちゃんがなるべく、新聞記事の真ん中に出るようにしてたり、してたのですが、最近は、この元店主さんが一人でマスコミ各社を周り、自分だけの写真をあちこちのマスコミに配布して、広告を出しても、店主さんの写真がずらっと並ぶ状態。店主さんの個人の後援会にしか見えない状態にしまいました。が、やってることは長年の活動に裏打ちされた立派な社会奉仕活動なので、マスコミは取り上げる、店主さんが主役になって新聞に収まるという構図。それで、3年位前に店主さんの店で起きた労使交渉というか、労働基準法違反のブラック企業全開の悪事に、当時怒って疎遠になった人達が、店主さんの目の仇にされて、社会奉仕団体に居場所がなくなってしまったんです。店主さんがどんなことをしてたをしらない、20代30代40代の若いメンバーが「店主さん最高!」と店主さんアゲをしてるのですが、店主さんの悪事をしってる40代、50代、60代、70代の古参メンバーはほんとに店主さんにウンザリしてて、注意して苦言して改めてもらえるのなら、と人が見ていない場所で店主さんに苦言進上した方もいらっしゃいましたが、彼らも一人残らず敵認定されてしまいました。店主さん曰く「自分のやることに反対する人は多い。だけど負けない」とか仰るので、店主さんの悪事を知らない20代30代40代の若い入会して日の浅いメンバーが「店主さんを悪く言うな」と頑張っており、私も過去に、もしかすると世間知らず事情知らずで、こんな風に間違っていることを正しいと信じて応援してたり、ということがあったのだろうか、、、と彼らを見てると、不安になってしまうほどです。古くから居る人は人はがっつり悪事を知ってるので悪夢を見てるような気分。ホステスをやってた知人が告訴してくれたなら公にできた話なのですが、知人がなぜか沈黙モードに入ってしまい「いかんじゃないか」と店主を叱った有志数名が今では「夢とやる気と慈愛にあふれた店主の敵」として居場所を失ってしまっています。ものすごく単純な話で筋の通らない話の方が正しいことのようにまかりとおってる現実私は、こういうのが嫌いです。何回か、店主さんとも、店主さんともめごとを起こした皆さんとも話し合いましたがらちがあきませんでした。で、私は次の世界に進んだわけです。若いメンバーの皆さんも、よく情報収集して、何が起きたからもめごとが絶えないのか、ちゃんと調べてください。さらば!最近社会奉仕団体に所属し、社会活動で新聞に自分の記事が出る快感にはまった様子。現在元店主の所属する社会奉仕団体が分裂しかけてる。

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      テーマ:
  • 27May
    • スタンリークラークライブ

      誰に連れて行ってもらったかは内緒にしておこうかと思いますが、スタンリークラークさんのブルーノート東京のライブに行ってきました。ベーシストのスタンリークラークさん。私、吹奏楽部でほんの一時期コントラバスやってたのですが、超低音部分の音ってハマると楽しいんです。音楽全体を見守りながら、音楽の神様の「神」の領域のお仕事、曲の盛り上げに一番、重要なナビゲーションを行うグルみたいなポジションなんです、ベースは(と自分は勝手に思ってます)。エイサーで京太郎(ちょんだらー)は道化のような恰好をしてるけどエイサーの隊列の司令塔でナビゲートをしていて、お客様との一体感をよびおこす、実はとっても難しい仕事なんだよ、、、とよく言われますが、そんな感じ。ベースの音って骨伝導なんだろうか。下から来るんですよね。それでスタンリークラークバントの皆さんというのが一緒に参加していらっしゃいましたが、「若い!」んです。若いドラマーやキーボーディストの皆さんが天界を舞うように自由で、「天衣無縫」というか、翼を大きくひろげて音楽の世界で羽ばたいてるんです。ドッグランに放たれた犬が、自由に解放された喜びで、いきなり疾走して、サバンナの動物のように飛び回っていて、、ああ神々しいなあ、、、と変な感動にひたることが私はあるのですが、才能の翼を大きく広げて、最高の笑顔で演奏をしてるんです。すばらしい音。ダイナミックなのに繊細。早打ちのドラムにゆったりとしたメロディを感じる。ホットでクールなキーボード。めくるめく時間。ビックダディーのようにスタンリークラークさんが笑顔で彼らの演奏を見守って綺麗でした。幸せだあ。

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  • 04Apr
    • シンネンドッ!!

      なんて書くとイメージ的に『バガボンド!!』のような勢いが出るかと思いましたが谷岡ヤスジさんの漫画を思い出してしまう私ときたら来年は50代ですよ。好きでした谷岡ヤスジさん。女が読む漫画じゃないとは思うのですが兄が3人もいたせいで、私は読んでるのです。そういえば、末期がんになって余命いくばくもない父の病室で付き添いをしていたある日のこと。「政治の話や少しエッチなことが書かれた週刊誌や月刊誌や青年漫画やらを居間にバラバラとおいて、『おい、この立花隆が書いた特集は力作だから、お前も読んでおきなさい』と子供達にすすめて、子供が普通に手にとれる場所に(ちょっとエッチな記事が書かれた)雑誌を置いておくのは、息子を持つ男親のつとめなんだよ。これで男の子は健康に育つんだよ」と、父が急に私にこんな話をしたのです。何のこっちゃ? お父さん大丈夫?と思ったのですが、要するに、父が死んだ後、私が運よく結婚できて男の子を授かったら(男の子が年頃になったらそうやって性教育をしなさいね)ということを言いたかったようで、私の父は大変真面目で誠実な人であったので、こういう話を真剣に娘によくしてくれて、死ぬ前にいろいろ考えてくれてたんだなあ。よく考えると最高の父でした。おかげさまで社会人になってセクハラもどきのことを言われても、それが圧迫面接でも、セクハラだろうと、全く動じず、ケロッとしているので、「山川さんが職場にいるとめっちゃ空気が和む、総務にいてほしい」という評価は、どこにいってもいただけるようになりました。お父さん!!本当にありがとう。ということで、新年度が始まりました。昨年子宮筋腫らしきものを発見して(まあ来年50だしなあ)と思いつつ生まれて初めて(老いの気配を知る人生の節目)を受け止めるという体験をしました。「今日が人生で最も若い日」という言葉を思い出して、本年度は悔いのないように行きたいと思います。皆さま、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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  • 17Sep
    • 早朝ナマハゲ

      久々に部屋でゆっくり休める日なのに、いつものように朝早く目覚めてしまうのは貧乏性だからでしょうか。とはいえ、早起きしても、今の日本、朝といえば、泣いても笑っても、全国的に「分別したゴミ」を出す時間。前日夜に捨てないルール順守!マンションによっては24時間ゴミを出してもOKなダストルームがあるところもありますが、一軒家や小さな集合住宅の場合は、ゴミは収集日の朝に出すのが鉄則です!!!となると、どんなにさわやかな気持ちで目覚めた朝でも、その日がゴミ出しの日なら、まずやることはゴミ出し!雨の日も風の日も!健やかなるときも病めるときも!その日がゴミ出しの日なら、すみやかにゴミを部屋から運び出し所定の場所に持って行きます。それで、早朝ゴミ出しを終えたら、気分すっきり!そしたら、その後は自分の時間を楽しめばいのですが、ここからがまた貧乏性の特性発揮で、早起きは三文の徳とばかり(ついでにもっとゴミ捨て、出せるものは出してしまおう!)と考えてしまうのが、色気もそっけもない私の性分で。(もっと処分できるものはねーかー)(捨てた方が良いもんはねーかー)と部屋のなかをウロウロと歩き始める私の頭は、強烈な寝ぐせのついたまま、室内をうろつき回る姿はまるでナマハゲです。心のなかにしっかりと断捨離の出刃包丁を握りしめながらそんなに広くない室内を一周して、所用時間10分くらいでしょうか。(これは紙ゴミ、燃えるゴミ、これは燃えない、これは資源、、、)とブツブツ念仏のように種目を唱えながら聖なる分別を行い、ひととおりの分別を気が済むまでやって(これは来週、これは明日、これは明後日、、、)と整理をして、その日収集可能な分をゴミ集積所まで運んだら(ふうーっ)と一息ついて、部屋に戻る短い廊下を歩いている途中で、ナマハゲから、いつの間にか普通の人に戻るんですね。そしたら、朝のコーヒーを一杯入れて、朝食を作って、仕事でもしようかと思っていたのに、ウトウト、つい寝てしまいました。そんな土曜日の朝。リサイクルに貢献したから、まあいいか。。。涼しい9月に癒されています。

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      テーマ:
  • 10Aug
    • ユニーバーサールデザイン風の絵

      急に絵が必要になってペイントで急遽作成。お題は「オフィス街」「オフィスだと認識できる絵」とか、「学校」だとか、いろいろ。絵の素人なのでバランスは崩れてるとは思いますが、個人的には満足です。私天才じゃないかと思ったりして……♪

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  • 26Jul
    • 「国産うなぎ蒲焼」に投票しました

      欲しい商品に投票して、豪華グルメをGETしよう♪▼あなたが投票したお取り寄せ夏のお取り寄せ総選挙はこちらからウナギ美味しいですよね。3年前になりますがスーパーマーケットに買い物にいったら鮮魚コーナーでイベントをやっていました。「このウナギ(生きてるやつが水槽に入っていた)の重さをドンピシャで当てられたらウナギのかば焼きを差し上げます!」というもので、配られた紙に水槽に入ったうなぎ1匹の重さを予想して書くというものでした。いつも肉や魚、野菜までも手でもって重さをはかってから重い方を買う習慣があるので、ピーン!ときて、配られた紙に100gと書いたら、見事ビンゴ!ウナギのかば焼きをゲット!私たち以外には、幼稚園児を連れたお母さんが、子供の言われるまま100と書いて見事ウナギのかば焼きをゲットされてました。そういえば、今年はウナギ、まだ食べていません。

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  • 17Jul
  • 15Jul
    • 秋葉原らーめん紬麦でふるさとを思う

      秋葉原にはよくPC周りのものを買いに行きますがたまに友人と待ち合わせて食事をします。私は酒を飲まないので、買い物のついでに待ち合わせをして夕飯を!とかになると、話題のラーメン屋さんかカレー屋さんを探して行きます。先日行ったのが「らーめん紬麦」。無添加の身体にやさしいラーメン屋さん。濃厚だけど優しい味。ラーメン屋さんなのですが、暑い日だったのでつけ麺をいただきました。塩つけ麺とつむぎつけ麺を注文。麺はやや太目ですが、ちょいプリっとして、沖縄の照喜名製麺のそば(沖縄そばのなかでは繊細なお味の麺です)を思い出します。乗ってるチャーシューが丁寧に塩で茹で上げられていて、お肉の香りがフワッと立つ、なんというか、アイスバインのような柔らかい優しい味のお肉で絶品。沖縄の料理上手なおばあちゃんちゃんが作る、豚Aロース(棒肉とか呼ばれる、豚のヒレ肉)の煮物のあの上品な味を思いだしました。懐かしさで胸に喜びがこみ上げてきて、おもわず「美味しいなあ」と思わず声に出してしまいました。塩つけ麺のつけ汁は、豚をじっくり煮込んだ煮汁で作られており、肉がいっぱい入ったこくのあるソーキ汁やテビチ汁のスープの味でした。(ソーキブニーの汁だ!うひょー)と興奮してしまいました。長く沖縄に帰ってない沖縄出身のおじいちゃんを連れていったら、なつかしくて泣いてしまうんじゃないか、というお味でした。 子供の頃から慣れ親しんだ味に再会した不思議な時間でした。TETSUでつけ麺をいただく時もいつも思うのですが、沖縄ソバでソーキ汁の煮汁のつけ麺をつくったら東京でチェーン店展開出来るくらい流行ると思います。島ラー油とモズクキムチとフーチバー島らっきょうかまぼこ中味、三昧肉トッピングしてコーレーグース美味しいだろうなあ。照喜名製麺さんのプロモーションをされているチームザヤスの座安社長にお目にかかったら、またおねだりしてみよっと♪

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  • 13Jul
    • 空を見上げただけで しみじみと癒された気分になります。 先日柏市に取材に行ったら、学生時代中国語を習いに通っていた味知斎という中国料理専門店の並びのビルでイベントが開催されており、約30年ぶりに柏を訪問してこんなことあるの? と大笑いしながら取材を開始したら、十年来の友人が舞台に立っており、「ええっ?」とまたまた驚いてしまいました。 取材は一時間で引き上げるつもりが、思いがけない友人との再会の嬉しさに、最後まで居残ってワイノワイノ♪ ぬちぐすいさびたん♪ なつかしい柏の街。忘れていたことをどんどん思いました。実は知味斉の存在も、この日、柏に行って目の前を通るまで、すっかり忘れてました。学生時代、知味斎でお世話になっていた中国語の先生は帰国されたと聞きましたが、天安門事件を境に音信不通となってしまいました。先生お元気かなあ。先生は日本語も上手で日本人の私たちと仲良くされてました。当時日本人と親しくしていた中国人は不満分子ではないかと疑われて、北京大学や南京大学の日本語学科の学生と留学時代仲良くなって帰国後もペンパルとして交流を続けていた友達が「いくら手紙を書いても返事が来なくなった」と嘆いていたり、私達、日中国交正常化を記念して設立された政府公認の青少年交流隊のメンバーだったので、まさかそんな戦時中の特高のような中国の組織に反政府不満分子とその仲間じゃないかとあんたも疑われてるよと聞いた時、ショックが大きさすぎて、「私の何がいけないんでしょうか」と誰かに相談したくて、悩み悩んで二十歳の時に日本共産党と自民党の議員に話をしに行きましたが、あれが私が政治オタクになるきっかけだったと思います。中国が民主化されるまで、どんなに探しても先生や留学先で出来た友達と会える日はたぶん来ないよと言われてたので、1日も早く中国が普通に法を重んじる普通の法治国家になってほしいと、あれからずっと、ずっと、ずっと今も思っています。私は中国語学科で中国語を習っていた沖縄出身者ですが、沖縄は日本、ウチナンチュは日本人です。 中国は歴史と文化のある誇り高き隣国としてリスペクトしてますが、沖縄が中国に編入してほしいなんて思ったことはありません。 この話、よくベトナムの方ともさせていただきましたが、ベトナムも中国に編入されることは絶対に有り得ない!と仰っていました(いざとなったら武器を持って戦う!とのことでした)、また最近、ネパールの方ともにも話を聞いたことありますが、中国が不穏な動きを見せたら徹底的に対抗するとのことでした。 台湾人の友達は、もっとはっきりと中国への編入はNO!で、当然!という感じです。 私も、沖縄の人も、日本人も等しくそうだと思いますが、中国という国や中国の人のことが大好きなんです。 ただ、当たり前のこととして、編入は「ありえない」んです。 よくチャンネル桜系の論客の方が沖縄県民のなかに沖縄は中国に編入した方がいいと考えてる人がいるという話をなさっておられますが、私は一度も会ったことがありません。「フリーチベット!」のツイートを沖縄の友人たちは盛んに拡散していたし、「命どぅ宝」を唱える沖縄の友人はシンプルにラブ&ピースで、ジョン・レノンのイマジンを三線で弾いて米兵とも肩を組んで、歌を歌ってしまうハッピーな人たちなんです。「中国の工作員と云われる人たちは日本中にいる」と言われてますが、中国から留学や仕事で日本に渡航してる中国人は、中国政府に滞在期間中に見聞きしたことをレポートで提出する義務があり、会社の覚えた仕事や学校での出来事を細かく報告するんだそうです。それで、いろんな情報が中国政府に合法的に流れているんだそうです。 それとは別に、沖縄で「本物の工作員らしき人が諜報活動らしきことをしていた」という話は本当に聞いたことがあります。 沖縄の人は日本語しか喋りません。沖縄方言はまるっきり日本の「古文」です。なのに、どうして中国に編入したいと望んでいるといわれなくてはならないんでしょうか。 北京で北京ダックを食べたいとか、万里の長城を見てみたいとか、ラストエンペラーの紫禁城を見たいとか、NHK人形劇の三国志が好きだったとか、普通に中国が好き!中国は昔、超大国の超先進国で、小さな島国の琉球王国が、お付き合いさせて下さい勉強させて下さいと頭を下げたのは事実で、だけどそれが悪いことでしょうか?

  • 30Jun
    • 沖縄パインシェイク

      マクドナルドの期間限定「沖縄パインシェイク」。80年代を思い出すパインフレーバー。当時は中学生で、当時の中学生というのは洋楽を聞きまくっていたので、マクドナルドで洋楽を聞きながらシェイクを飲んでた記憶があります。トロピカルという言葉が流行ってて、パイナップルやバナナがポップな絵柄として流行っていたので、文房具も蛍光色のパイナップルの絵柄だったり、ポップンロールとかいう造語が登場したり。この味、懐かしいなあ。ティーンに戻った気分になりました。当時は蛍光ペンが発売されたばかりで、交換日記にピンクや黄色の蛍光ペンでハートや星のマークを書いて、好きな人の話や学校の話題をだらだら書いて友達と回し読みするのが流行ってました。80年代のパインシェイクはポップなアメリカンカルチャーを堪能しながら飲んでましたが、今年のマクドナルドは「北海道」や「沖縄」を商品名に入れてたメニューが登場して、メリケンマッダーナルがさらに日本のマクドナルドに進化したというか、マックは日本に上陸して45年経つそうで。、日本名「万食道成堂」進呈!「千休」センキュー♪マック!

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  • 26Jun
    • 機動隊員のような生活

      関東沖縄経営者協会の創立50周年大会が17日にホテルニューオータニで開催されました。周年の年に事務局を引き受けたのですが、前回の40周年大会は準備の段階で開催2週間前は5人くらい事務局にいたのに、今回は2人。むちゃくちゃでんがな!と思いつつ、これは倒れるかもしれない!と思いながら、体力はあるので、(いいか、終わってから倒れれば!)と観念して、やりましたよ、事務局。不眠不休で終了しました。キツイといっても2ヶ月のことなので、始めてみたら申込者が少なく作業も安定していて(余裕だな!)と思っていたら大会2週間前に急に申込者が増えて、2週間前くらいから、事務局は殺人的スケジュールとなり、シヌゾーと思いながら、アワワ~!!と、わけのわからない超多忙な世界に突入。下痢、嘔吐、発熱、咳。咳で吐くので食事抜き。すっかり身体もスリムアップ大成功。機動隊やPKO、自衛隊の災害救助隊と同じでなにがあろうと現場はやる。「身体を冷やさない」「食事はとる」「仮眠する」「水分をとる」「無理しない」というのが鉄のルールになって、淡々と任務を遂行して、確認作業と、要請作業と調整作業に徹しました。わけがわからない忙しい時期に入ってからは、海中で潜水服を来て水の中で延々長時間作業をしてる状態に近くなります。呼吸を乱さないように、穏やかな精神状態を保って、ヤバい!と思うことがあっても、キレるとかパニックも起こすこともなく、テンションも上げず、ひたすら、ただ淡々と作業を続けるんです。咳が止まらない時はくちゃいにおいに敏感になるので、トイレでも、歩いてる間でも、ちょっとしたにおいでオエッとなるので、そんなときは我慢せずにリバース。鼻に入らないように下を向かないように、うまくやるんです。ササッと出すもんを出してしまえば、その後、気分が悪くなることもないし、気管や粘膜にダメージが少ないので、大事に至らずすぐ現場復帰出来るので、それで淡々と作業再開。なんと言えばいいか、マグロ漁船。船酔いしても、親が死んでも、嵐が来ても、寒い吹雪が拭いても、淡々と作業をこなす、、とか、そんな感じでした。想定外想定外、急な変更、全員が超多忙なので、打ち合わせ後回し、確認事項ストップ、細かい打ち合わせはなし、とか作業が間に合わないとか、行程崩壊の可能性もあり、全行程が緊急対応。ええい、ままよ!と本番の日がやってきて、大会が始まり、会場は、大成功、感動!大盛り上がり。よかった!おめでとう!よかったね!ああ、終わりました。仕事は不完全のことも、間に合わないことも、ぶっちゃけるとあります。優秀な人なら完璧にやれると思いますが、だけど、降りられないし、最後まで行くしかありません。短気決戦で死ぬ気でやるとか本土で働くと普通のことで、こういう経験をいくつもいくつも繰り返して、年をとっていくものなんだと思います。死ぬほど大変!という思いをするのが仕事。クレームも多々残っており、これから一山ありますが、とりあえずは、終わってくれたことに対して本当にほっとしてます。お世話になった方に、本当に心の底から感謝を申し上げたいです。ありがとうございました。今回は事務局は大会のために作業費をいただきましたが、昼夜不問不眠不休で仕事に当たったので、ギャラの5倍は働いた実感があります。やれることはすべてやりきったので、50年のお祝いに貢献できたかなと思います。先達の皆さんの、故郷を思う気持ち、会社を活性して生活を安定させて、発展させていこうという強い思い、たくさん受取りました。私も、この50周年のご奉公が終わったら、自分の仕事に戻って全力を尽くして働きたいと思います。50周年、おめでとうございました。タフだぜー!が、二度とやらん(笑)。

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  • 14Jun
    • 一直線すぎる雲

      山手線田端付近に、池袋サンシャインビルがよく見える場所があるのですが、サンシャインビルの向こう側に山脈があったのか!と思くらいの、一直線に固まった雲が出ていましたビックリです。昨日関東は大雨だったのでまたまたやってくる西の雨雲なのかなんなんでしょう。高台に住んだ経験がこれまであまりなかったので変わった雲をみるとドキドキしてしまいます。

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  • 01Jun
    • 2016/06/02

      子宮筋腫絶賛成長中につき万年貧血状態で、寝たり起きたりしながら作業をしてます。 閉経すれば自然に消えてしまうものらしいので、放置しておいても問題ないらしいのですが、この筋腫、日々すくすく成長していて、円みを帯びたポッコリがお腹の上からも分かるようになってきました。さすりながら、よしよしと撫でていると、妊婦か?と自分で突っ込みをいれたくなるくらい、何かが下腹部に「ある」のです。そしてたまにとても痛い。 たまに山手線の中でもお腹をさすっていますが、もう絶対妊婦と勘違いされしまうな、、と思いながら&腹部に手をあてて座っていると幾分か楽になります。手術してしまうと子供が産めなくなるかも、、という話だったのでなるべく自然の状態をキープしています。

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  • 13Mar
    • 横浜ランドマークタワーにて

      横浜の沖縄物産ショップ「ぷからす家」の音楽イベントの取材で桜木町の横浜ランドマークタワーへ。横浜の港町にあるとってもお洒落な大型商業施設の春の沖縄フェア開催に合わせた形での音楽イベントできいやま商店にやなわらばーに結、ナシルに東風平高根とにぎやかなメンツのご機嫌な沖縄ポップスを泡盛とビールで楽しむというイベント。株式会社琉球エージェントの島袋社長と野村氏のガッツに惹かれて自然に人が集まって来て、気がついたらどのイベントも大成功!東京の沖縄カルチャーを牽引する彼らの姿を見ていると、頼もしさに胸が熱くなってしまいます。

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