起きてほしくなかった…。

 

この事件の速報を聞いた時、膝から崩れ落ちそうなくらい衝撃を受けました。

修学旅行の平和学習で乗船した高校生が亡くなるなんて、とりかえしがつきません。

命は戻りません。

ご遺族の悲しみを思うと、いてもたってもいられません。

ご冥福をお祈り申し上げます。

そして、このような事故は二度と起きないようにしてほしいです。

 

 

 

 

 

  子供は大人が守るもの

 

辺野古の基地建設反対運動に参加してる大人が巡視船に乗って、突発的な大波で船が転覆したとしても、

大人が自分の意志で乗船したのだから、事故に巻き込まれたとしても仕方ないとして、これは、違う。

 

修学旅行の高校生、「子供」です。

まだ大人の助けが必要で、修学旅行なんて、担当の先生が決めた場所に子供たちはバスで連れていかれて、スケジュール通りに行動します。仮に、子供が政治的意志を持って「巡視船に乗りたい」といったとしても、教師は政治活動への参加は止める立場にあります。もしくは父兄の同意が必要な案件だと思います。

 

 

 

  死亡事故が発生した場合の対処の仕方

 

私は基地反対運動は続けられるのなら続けた方がいいと考えてる側の人間ですが、今回の事故は、特に船を出した団体の、事後の対応が良くなかったと感じました。

 

まずやることは遺族への謝罪です(謝罪は行ったと後に発表されていました)。

 

それから「お詫び」文面を考えて発表、

それから、記者会見で、お詫びと経緯の説明が必要になってくるかと思います。

 

その後は、「事故発生時の状況の再確認」、「その場にいた人たち全員からのヒアリング」、それから「事故が発生した原因」を突き止め、再発防止の「今後事故を起こさないための対応策」について現場にいた方や、関係者と話し合い、「平和学習、船舶を使った平和学習の安全運航のガイドラインの作成」までを粛々と行うのが流れだと思われます。

多分、早くても半年、一年はかかるんじゃないでしょうか。

 

ところが、遺族の方が「事故の究明をしたほしい」といった意見をsnsで発信を始めてしまわれました。

つまり事故の発生の究明を行ってないと受け止められているということです。

 

この段階で「抗議活動を再開」というのは、次期尚早すぎるのではないでしょうか。

活動を再開する前に、事故に関連する対応を行って(時間がかかると思います)、それから、活動を再開するのが流れではないでしょうか。現時点で「活動を再開」は順番が違うと感じました。

 

謝罪論 謝るとは何をすることなのか

 

 

米軍兵が沖縄で交通事故で沖縄の人を死亡させて沖縄県警が逮捕しても、米軍が犯人を引き取りに来て、なんとなくウヤムヤになって、本国に帰ってしまうという治外法権的な人権蹂躙の問題が沖縄にはありますよね。沖縄の米軍基地問題を代表する問題です。

 

「米兵は日本国のために命を投げ出して戦うという大きな使命があるから、交通事故で死亡者が出ても処罰しない」という理屈なので、「それは違うでしょ、事故は事故。ちゃんと逮捕して裁判にかけて罪をつぐなってください」という主張を沖縄の人たちは、ずっとしてきました。

 

 

  リーフの外の波は高く、流れも速い

 

今回の巡視船転覆事故も、まぎれもなく事故だったんだと思います。

人が死亡してる事故は、どう考えても「事故」なんです。

死亡事故が発生した場合は、すべての作業をストップさせて、事故の発生した原因追及を行って、当事者は事故の責任をとる。再発防止を全力で考えるのが流れです。それを最優先してやりましょう!

 

 

失敗のメカニズム 忘れ物から巨大事故まで (角川ソフィア文庫)

 

事故がなくならない理由 安全対策の落とし穴 (PHP新書)

 

 事故が発生した時は、どの立場の人も、どこの組織の人も、同じ流れで、作業をしているはずです。

 

例えばですが、船を出した団体の方は、代表者は「事故原因究明、事故再発防止を担務する」として、その作業に専念していただき、他の人たちは本来の抗議活動を行うとか、分業したってかまわないと思います(けじめをつけるために、団体を解散して、代表者を変えて、別団体で継続してもらうとか、そういう方法もあるかと思います)。

 

死亡事故が発生してしまった以上、最優先でやるべきことは、「謝罪、事故原因究明、事故再発防止」に全力をかけることです。

 

 

 

 

  「オールドメディアはダメ」は真実か

 

お知り合いの方から、怒りのメールをいただいて(私が琉球新報の首都圏通信員なので)、怒りというか強い嘆きのメールでした。やりきれないんだろうなというのはお察しいたしました。私もやりきれない気持ちでいっぱいです。

 

私が通信員を務める沖縄の新聞社をはじめ沖縄のオールドメディア、本土のオールドメディアは、基地反対側に同情的で、死亡事故が起きてるのに、船長の名前を出さないとか、牧師と共産党の関係(キリスト教団と共産党問題っていうのがあるんだそうですね)、特定の宗教は叩くのに、キリスト教団のことは批判しないのか…等々、ご意見をいただいて、まあ、統一教会などは自民党との癒着などかなり大きく批判されました。船長さんや死亡した生徒さんの名前が出なかったのは、事故なんだか事件なんだかよく分からない状態の初動の段階では、名前は出さないことは、よくあると思います。でも、事故だとわかってからも、名前は出てきませんでした。

 

名前を出さない事件・事故については、京都児童殺害事件の義父や母親も長いこと名前が明らかにされませんでした。母親は今も名前が明らかにされていません。なにか、報道の際に「名前を出す・出さない」の取り決めがあるみたいなので、何かあるんだと思います。私も、そこはよく分からないのですが、事件や事故の場合は、いろいろ報道協定みたいなのがあるそうなので。ごめんなさい、私は今回、船長さんの名前が出てない理由は、本当にわかりません。

 

 

持続可能なメディア (朝日新書)

 

 

 

 

それと、船長さんがキリスト教の牧師さんだったんだそうで、それに対してもお怒りの御様子でした。「キリスト教と共産党」の問題というのがあるんだそうですね。宗教と政治が癒着、密着してると見なされると、確かにマスコミが強く批判することがあります。

 

ユートピア政治の終焉――グローバル・デモクラシーという神話

 

 

統一教会の場合は、統一教会の献金問題をオールドメディアが報じて、自民党議員が統一教会に関わっていると、各メディアが取り上げましたが、あれは信者が多額の献金をすることになっていて、それで家庭崩壊したご家族が増えて、それが社会問題化したから、統一教会の問題がメディアで大きく取り上げらるようになりました。亡くなられた船長の名前が公開されないのは、オールドメディアが「キリスト教と共産党で結託した彼らとつながってるから」という意見で、それは、ちょっと意味が違うかなあと思いました。

 

報道協定

 

共産党ってもともと非科学的なことは認めない、現実主義的な団体で、私の印象だと(処女懐胎なんてトンでもない!)という方だと思うんですよ。(ダライラマの「生まれ代わり」なんてトンでもない!)という理屈で彼らは地位を追われるはずなので)。

 

ダライ・ラマ怒りを癒す

 

キリスト教者が共産主義に賛同するとするなら「共産主義のユートピア」(皆が平等に分け与え、困ってる人がいたら皆で助けて合う)というユートピア社会は、キリスト教の「一つのパンを分け与えよ」の教えを実践すれば実現するであろう、共助の社会と似てたから「共産主義はイイ!」とハマってしまった人がいるというのなら、理解も出来ます。

 

ですが、実際、いまの中国共産主義だと、共産党員の子弟の皆さんが日本やアメリカでプラダのバッグを持って、資本主義者の成功者の証であるハイブランドの衣装に身をまとい、そんなハイブランドの服を購入する金があるなら、格差社会の見本のような国となってしまった中国の、否富裕層の皆さんにお金回せるんじゃないの?とか、だから、「共産主義」が形骸化してるわけですよね。

 

 

「共産主義」の看板を上げてても、形骸化してるということはよくある話だと思います。日本赤軍だって、本当に共産主義だったのかを考えれば、「革命」で血をたぎらせて暴力行為に及ぶことの方が目的で、共産主義思想は借り物で、形骸化してたような気がします。

 

 

組織の形骸化―令和時代における課題と展望

 

 

統一教会の世界日報は、北朝鮮拉致問題については世界日報の記者が相当踏み込んで取材をして、日本の拉致被害者の帰国につながる情報を統一教会や世界日報から得てたらしくて、自民党関係者と世界日報は「北朝鮮拉致被害者救済」の面ではピュアに共闘してたとかいう話があります。だから、自民党議員に多少の政治献金があったり、世界日報に自民党の議員が出てきたりするのかな。「ありがとう世界日報さん!」という時代はあったんでしょうね。

 

 

 

 

でも、それはそうなんですが、信者さんに対しての「霊感商法」とか「献金」が高額すぎて、家を売って土地を売って、丸裸になっても献金を続けるとか(信者さんの証言が事実なら)、それで信者さんの家庭が次々崩壊したと。その問題が表面化して助けを求める人たちが後を絶たなかったというのは事実でもあるし。この問題が表面化して、「献金を止めた方がいいんじゃないですか?」という世論が高まった。教祖様が逮捕されるとか、解散とか、そこまで話が行ってしまったんですね。「それってどうなの?」といわれるのは仕方ないんじゃないかなあ。

 

でも全ての信者さんが「献金」で生活苦になったかというとそうでもなくて、普通の暮らしを送りながら、静かに毎日神に祈りをささげながら、清く正しく生きてきた信者さんもいたわけで。彼らにとっては「何?どうしてうちの団体がメディアに叩かれてるの?」とショックだったみたいです。信仰というのは心の一番清らかな部分に関わるから、教祖様が犯罪者扱いされたりしたら、とてもつらかったと思うし、「なんであんなひどい報道がなされたんだろう」と怒りも感じておられることは想像できます。信者さんたちが今も心がズタズタな状態で、とても参っていらっしゃるということは最近理解できるようになりました。

 

オウム真理教ですら、最後の最後まで「信じてる!」信者さんがいたわけで、ああいえば上祐さんだって最後の最後まで信じてたご様子でしたよね。今は違うようですけど。「オウムと統一教会を一緒にするな」と怒られそうですが。

 

 

私にも信仰心みたいなものは、心のどこかにあって、私はキリスト教のキリストさまもマリア様も、近所のお寺さんも神社も、不動明王様も、とりあえず、(どうもありがとうございます)と心の中でご挨拶するようにしてます。

 

 

心が荒れてる時は、自然の中にいるようにして、心が晴れるまで、自然の中にいるようにしてるんです。気が付いたのは、「人から離れた方がいい」ということでした。人と接するのを止めて、自然に対峙する時間を作った方がいい。それをちゃんと続けてると、心身ともに調ってくるんです。また幸せな気持ちで、前向きな気持ちで生きていけるんです。

 

 

心が殺伐として、「あいつらはけしからん!」と毎日怒り心頭の方からメールを書いて送ってくる知人もいますが、「あいつらはけしからん!」と他人の行動について怒って、ストレスMAX、不快をMAXにして、怒ってるんです。

 

私、人に興味なくなってしまったんです。というか、「別に人と一緒に生きていかなくてもいいや」と思ってるんです。私、どっちかというと、一人で行動したいんですね。人がストレスの原因だって気が付いてしまったからなんです。

 

だから、スマホの電源を落として、ネットも切って、自然の中に行くんです。

蘇りますよ、豊かな気持ちが。

 

ストレスや怒りって、ほぼ100%、人間関係から来るんんです。

愚かな行動をしてる人たちって、愚かなんですよ、好きで愚かなことをしてる人たちなんです。

私、愚かだなと思う人と無理して付き合う必要ないと思うんです。

 

人と付き合わないって決めたら、人生は豊かになります。

まあ付き合わないということは、生きてる以上難しいのですが、「巻き込まれない」というのは生きるコツだと思います。

自分の人生に他人を、どうにかこうにか巻き込んで、自分の思い通りになるよう動かそうとするのは、ただの奢りです。

私は、動かない。

 

自分で解決せー!

 

 

この世の中に生きる人間というのは、皆、ちっぽけな存在なんだ!と気が付けば、神聖な現人神なんか、いてもいなくても、さして重要な問題じゃないと私は考えるようになったんですね。

尊敬する先輩方も、憧れてたヒトも、実際は皆悩んでることはあったようだし、この人の考えは正しいとか正しくないとかいうことも、他の人の立場から見たら、「とんでもなくヒドイこと」だったりします。

 

誰かが「これが正しい」と主張してることって、半分くらいの事象が、私にとっては全然正しくないんです。

「これが正しい」と思ってることがある人って、他人にも「自分が正しい」と思ってることを「正しい」といわせようとするフシがあって、私は「違うと思う」と言ってしまうんですね。

 

 

なんというか、きっと、全員が正しいと断言できる正解はなくて、私には心の中に信仰してる何かはあるけど、宗教は要らないなあという考えに至りました。

 

 

今世界で起きてる戦争や紛争って、ほとんど宗教戦争ですよ。

「うちが正しい、おまえらは間違ってる」というから、争いが起きるわけで、

「うちは間違ってるかもしれない、おまえらも間違ってるかもしれない」と考えてるくらいでちょうどいいんじゃないかと。

 

 

 

相手を叩くと自分が正しいような気持ちになるけど、果たして自分は正しいのかと自問自答してみると、あらさがしをして、

誰かを叩き続けることが自己目的化してる人生を送ってるだけでした…という寂しい現実が横たわっていたり、

その人生って、ちっとも幸せじゃないし、幸せじゃない人生って、究極の意味で正しくないよね…という。

 

 

 

私はオールドメディアといわれて、かつ偏向報道だと揶揄される琉球新報というところの、私は社員ではなくて、たまに記事書きたいなと思った時に、記事を送って掲載をしていただく通信員(契約の人)で、関係があるといえばあるし、関係がないと言えば関係がないんだけど、琉球新報の関連会社の新星出版という出版社ではオキナワグラフという月刊誌を出していて、そこは自衛隊や海上保安庁の記事がたくさん掲載されているんですね。よく「琉球新報は自衛隊や海上保安庁の記事を載せない、偏向報道だ」とか言われてるけど、がっつり出てたりするんですよ、系列の雑誌のオキナワグラフには。社長は歴代琉球新報のOBです。

 

琉球新報が挑んだファクトチェック・フェイク監視

 

 

「それ本当?」という話がSNSにはあふれてるし、オールドメディアに対して、ニューメディアとでもいうんでしょうかSNSやWEBは。WEBには新聞やメディアの有料記事は検索しても出てこないから、「ググって出てこなかった=報道してない!」ではないんですね。これ、ものすごく多い誤解で、無料記事って、今どんどん減ってるんです。

 

「報道してない!偏向報道してる!」とか主張してる人は、「無料記事でググって出てこなかった」ことを「偏向報道してる」と書いてることがあるんです。実際に(これ偏向報道なんじゃ?)ということがあったとしても、そこを、ずばり!指摘できなくなってしまうんですよ。はぐらかされてしまう。

だから、事実関係はよく調べて、批判するときは特によく調べた方がいい。

「自分の話を聞いてくれない!」と嘆く人も増えてきてるけど、あっちゃこっちゃ偏向記事だらけで、私たちは実は偏向記事に、振り回されて、本質が見えなくなってるんじゃないかなあと思います。

 

なんだかよく分からなくなったら、スマホの電源を切って、公園にいって、空を眺める。1時間でも2時間でも。

 

世界は静かで、美しくて、風がやさしくて、天国みたいです。

 

争ってるのは、争いが好きな人たちが「世界中の奴らを争いに巻き込んでやる」と翻弄してるから、それに巻き込まれて自分が不幸な気持ちなってるだけだって、気が付きます。

だって、トランプさんって騒動起こして、「ホルムズ海峡を通るなら金よこせ」とか言い始めたじゃないですか。

爆撃しておいて、次に「ホルムズ海峡の通行料をとる!」とか言い出す人って、商売人以外の何物でもありません。

これ、政治家じゃないよ。商売人。

 

トランプさんって、自分がキリスト教の神様の加護があるかのようなイラスト作成して、Ⅹに投稿してるんですよね。

「神様」のストーリーって、不幸な人に「負けるな!」と自殺しないように、頑張って生きよう!とくじけさせないためにあったんだと思うけど、トランプさんって、「ああいえば上祐」に近い。

 

 

もうね、こんなアホみたいなことが繰り返されてる世界、無視しちゃっていい!と私は思います。

 

 

怒ってたり、嘆いてる人って、基本、気持ちが優しくて、真面目な人ばっかだよ。

翻弄されまくってて、もう、いいんじゃない? そういうのから卒業しても。

 

公園で青空や夕焼け空を眺めながら、アイスクリームを食べてる方がよっぽど心が豊かになるよ。

明日も頑張ろうと思える。