今年初のおうちシアターです。

 

『ウエスト・サイド物語』(1961年米国)を見ました。

今年2月11日にスティーブンスピルバーグ監督による『ウエスト・サイド・ストーリー』が公開されるので、

その公開前日に、予習を兼ねて鑑賞しました。

(2月11日は、朝イチの午前8時45分の回で観てきましたよ!)

 

1961年版は「物語」、2022年版は「ストーリー」、まあ日本の配給会社がどう翻訳したかだけの違いなのですが、

区別できるようにしてくださったんですね。

 

 

『ウエスト・サイド物語』(1961年米国)

♪とぅなーい、とぅなーい♪
♪まりーあー、まりーあ~♪
♪ウ~~、マンボ♪
 
よく知ってるあの曲、この曲。
これがウエストサイドストーリーの曲だということを知らないで、(CMの曲じゃん!)(お笑い番組でよく聞く曲で知ってる!)とか
(ス―パーの買い物の時によく流れてる曲でしょ!えっ!これウエストサイド物語の曲だったの?という曲が満載です。
 
 
世界中に旋風を起こしたこの映画。
「ロミオとジュリエット」のストーリーをニューヨークのスラム街に設定を移して、当時の最高水準のダンサー・俳優たちが
歌い踊る!!
「これぞアメリカ!」という作品ですね。
 
西部劇の荒野の用心棒のような口笛ではじまるこの作品。
 
口笛がNYの街のスラム街の上空に響き渡ります。
 
(あれ?この口笛、荒野の用心棒のイントロの口笛じゃなかったの?)と、私、50年近く勘違いしてました。
この口笛、荒野の用心棒ではなくて、「ウエストサイド物語」の口笛だったのか。
たまに、洗濯物をたたんでる時などに、「荒野の用心棒の口笛!」とか言いながら、真似して遊んでたのに。
 
スラム街に響き渡る口笛。
スラム街は荒野か?!ワイルドなエリアなんだろうなあと予感させるこの音楽。
ゾクゾクします。
 
スラム街の非行少年たち。
ビリー・ザ・キッドも真っ青な、ワイルドな人生をおくってるんでしょうね。
 
というカッコいい幕開けなのですが、この作品、
 
この非行少年たち、自分たちの町を歩いてる時に、いきなり音楽に合わせて踊りだすので、
公開当時も、「なんだこりゃ!」とそこでずっこけて、「なんで踊りだすの?」と拒否反応を示した人も少なくなかったそうです。
 
だけどここは「ザッツエンターテイメント!!!」。
 
なんてったって天下の「ハリウッド映画」ですから、
フレッドアステアもジーンケリーも「ハリウッドのミュージカル映画」は、いきなり踊りだすのがお約束ですもんね。
 
最初でずっこけたとしても、「ミュージカル映画」はエンディングまで見ると、絶対に泣ける展開が盛り込まれています。
ウエストサイドストーリーも涙が止まらないストーリー展開で、それで世界中の人の心を釘付けにしたんですね。
 
 
 
ミュージカル映画の中でも、この作品は異質です。
「雨に歌えば」や「パリのアメリカ人」や「イースターパレード」と違って、コメディ要素一切なし!
 
レナード・バーンスタインさんが曲を手掛けている曲が、とにもかくにも傑作揃いです。
マリアに恋をしたトニーの歌う「マリア」。心の昂ぶり、メロディの高揚感、浮遊感がハンパない。
 
YOASOBIと同じで、詞(セリフ)が先にあって、言葉を心に届けるためのメロディがつけられたんでしょうね。
「アメリカ」「サムウエア」「トゥナイト」等々、珠宝の名曲が感動のシーンとともに満喫できて、
自宅だったので、大きな声を出して一緒に歌いながら映画を楽しみました。
 
大満足!
 
 
 
今回見返して分かったのは、マイケルジャクソンの「BEAT IT」や「スリラー」は、ウエストサイドストーリーが元になっていて、
マイケルは黒人版のベルナルトを演じてたんですねえ。
今回見るまで気が付きませんでした。
 
それとやはり、去年公開された、スーパーポジティブなNYのプエルトリカンのミュージカル映画『イン・ザ・ハイツ』は、ウエストサイドストーリーで世界中に広まった「NYのプエルトリカンはパンクス」というネガティブなイメージを完全に払しょくさせたなあと、ウエストサイドストーリーの上を行く、ハッピーな「プエルトリカン」ミュージカルを、民族の誇りを持って自分たちで作り上げたプエルトリカンの皆さんに拍手を送りたいです。
 
沖縄から本土に集団就職でやってきた方が昔話として、「昔はよく差別された」「いじめられた」と、「朝鮮人・オキナワ人お断りと店の入り口に書かれてあった」「琉球人にはアパートは貸さない」といった差別があったという話をされることがあります。
昔は、沖縄の人達の言葉、本土の人達には何を話してるのかさっぱりわからない言葉で、「分からない」ことからくる恐怖で、排除しようとする人達がいたのは事実で、また慣れない土地で田舎から出てきた者で固まって、さみしさを紛らすために酒を飲んで、大声を出してさわぐということで、しぼられた人達もいたようですが、現在では本当に「今は昔」になりました。
 
今も「苛められた」「差別された」と話す70代、80代の沖縄出身者がいて、私達の世代くらいになると、「ウチナーンチュ」であることがちょっと自慢!だったり、沖縄に対してポジィティブな思いしかないので、70代、80代のトラウマをひきずってる皆さんと、「インザ・ハイツ」的な沖縄映画を撮って、胸を張って生きてほしいなあ、なんて思います。
 
1957年にミュージカル作品として発表された「ウエストサイドストーリー」。
ミュージカルで差別の問題や社会の闇の部分などに触れて、社会風刺を盛り込んで発表して、それが大ヒットしたアメリカという国の民主主義の強さに脱帽しました。