STAYHOMEが提唱されるようになって企業や法人の動きも日々変化しております。
6月の総会シーズンの前に、「総会どうする?」と企業・団体の総会担当者の皆様は頭を抱えていらしたと思います。
私もとある団体(法人)の事務局をお手伝いをしていて、「総会どうするんだろう?」と成り行きを見守っていました。
➀とりあえず延期。
1年は延期しても法的に問題ないそうです。
ただし従前の総会の時期の前に「延期します!」と告知すること。
という指示が弁護士の先生からありました。
私の所属してる団体は6月が毎年総会開催時期なので、
5月に大急ぎで「総会延期します!」の一斉同報メールを行い、
すぐに文書を郵送しました。・
②延期して新型コロナ終息の状況を見る。
様子を見ていましたが、ワクチンが完成するのもまだ先の話で、
終息は出来ない類のウイルスだというので、「集会型は無理だろう」という判断を下したのが6月でした。
③オンライン総会をやる!
「オンライン総会やりましょうよ!」と提案して、代表も役員も「それでいこう!」という声が多かったので
オンライン総会のリサーチを開始しました。
企業・団体でオンライン総会をやる!というところがあったので、参加して勉強!
「これならやれる!」と自信がついたので、「やりましょう!」と提案。
そこで、また弁護士の先生から指示があったんです。
「総会は開催しましょう。一応招集をかけて、三密回避で来場を遠慮していただくお願いをして、
書面投票、委任状、オンライン総会参加という選択肢を提示して、来場を控えてもらいましょう」といいう方針の説明がありました。
法的なことは弁護士の先生に従うのが一番なので、それで理事会にかけて承認をいただき、準備を進めることになりました。
④総会は実施するけれども、委任状もしくは書面投票(議案について賛成・反対を記入したものを総会の前に送付して投票)
で過半数の賛成(もしくは委任状を得て)をもって議案を成立させる。
その際は株主総会の日の2週間前に書類一式を送付し終わらなければならない。
③と④の複合型で開催を決めました。
一応会場を借りて「総会」を開催、実施する。「オンライン総会」を同時開催する。
「出欠回答用紙・委任状兼書面投票用紙(返送用)」のたたき台を作りました。
それで、弁護士の先生や役員の皆さんにご覧いただき、OKをもらいました。
今まで「委任状」は何度も作ったことがありましたけれども、
「委任状兼書面投票用紙」なんて見たことがなかったので、法規集を見ながら、
イメージを膨らませて、文面作成。
「細かすぎるよ!こんなに細かい項目が書かれたの見たことないよ!何見て作ったの?」
と聞かれて、
「見たことないから、イメージして作りました」。
「そうか、しょうがないよね」と、その後、簡略化した回答用紙を作成。
我ながら良い出来です。
「これ最高の出来だよ」とおほめいただきました。
新型コロナウィルス蔓延で、総会延期もしくは書面投票を行った法人様多いと思いますが、
私が作った「回答用紙」が、「一番上等だった」とおほめいただきました。
歴史をつくったぜ!!
(なーんてね)。
【三密回避の方法】
・議決権のある会員のみ招集。賛助会員等は招集しない。
・「オンライン総会」参加を奨励
・委任状提出を奨励
・書面投票を奨励
ズームのリハ、ズームのマニュアル、三密回避文書、書面投票用紙作成、初めてだらけです。
会場では体温測定、消毒、総会の議長団は衝立も必要です。
⑥総会資料作り
それと肝心の「総会資料」。
私が作ることになったんですよ!!
資料をひっくり返しての総会資料作り、今朝やっと終わりました。
例年と異なるのは、昨年は「いろんなことがあった」年なので、
総会資料に「例外」の記載事項がたくさんありました。
「去年の資料の数字の、こことここを入れ替えて、完成!」というわけにはいかず、
昨年度の報告、今年度の活動方針は、全くの文章入れ替えで、丸ごとの新規作成です。
地方自治体や省庁相手に数年仕事をしていた時に行政文書の書き方はマスターしたので、
当時は行政文書の特殊な書き方に頭を痛めたもんですけど、今となっては、「やっといてよかった行政文書作り」です。
当時の行政の担当者の皆様が、当時20代のペーペーの私、それも外部業者を部下のように鍛えてくださいました。
本当に御礼を申し上げたい気分になりました。
<私の出版のお仕事の歴史>
振り返ると、いろんな団体の本を作ってきて、行政文書や行政史、民間企業の社史、専門分野の教科書、自分史、小説、詩、俳句、
論文集、エッセイ、政治家の回顧録、社会史、いろんな本を作ってきました。
係わった行政機関は、国(内閣府、厚生省、法務省)、県(沖縄県、福島県)、市(那覇市、浦添市)、村(大宜味村、宜野座村)。県警、市警、文科省の外郭団体、厚労省の外郭団体、警察の外郭団体、内閣府の外郭団体、外務省の外郭団体。退役軍人の会、遺族会、同窓会、総合病院、老舗の料亭、古典芸能、空手、etc。
一番多いのは厚労省関係で、その中でも一番大きな仕事は800頁のA4サイズの本を作ってWHOの宣言文とか入ってるやつで
英語翻訳も入れて、2年がかりで作った書籍もありました。
いろいろなところで広報の仕事や出版(本、パンフレット)にかかわりました。
大小合わせて私が編集責任者で担当した50冊超えてます。
20代に小さな出版社にいた頃、代表者が末期がんになって休ませる必要があったので、その代表者が生きているうちに、
すべての業務を引き継いで、私が会社に泊まり込みで働いて、
「全部本を仕上げる!」「仕事を回す!」こと以外は一切考えない人生を送っていました。
夜1時~朝6時が(睡眠とお風呂の時間)で、それ以外は仕事場で働いてたので、そのころに50冊という数字が出来たのですが、
編集者というのはピンからキリまであって、「スター編集者」がいて、その人に「本」の依頼が来るのです。
そういう人は「出版社の社長」をやれるんです。私はそっちではなくて、ぺーぺーの駆け出しで、
死の宣告を受けた「スター編集者」の手となり足となって、
全ての雑務を私が受けて、「指示だけください」「ダメ出しだけください」「チェックだけしてください」というやり方で臨んで、
いくつも本を仕上げました。
おかげで今も土壇場には強いです。ピンチの時に東京の出版社の現場に呼ばれることがあります。
しばらく出版の仕事を離れて10年ほど放送局で働いてたので、出版業界にいる人間のなかでは50冊は少ない方です。
そういえば本当にすっかり忘れていましたけど、40代の頃には文科省の外郭団体の職員もしばらくやっていて、
その時は会報(20万部発行)48ページも冊子の編集長もやりました。
<出版のお助け人として派遣先がブラック企業もあった>
あれもあったなあ。パワハラが凄い現場で、広報担当者が軒並みうつ病になって退職していく会社があって
「行ってくれない?」と頼まれて、しばらくそこで広報の仕事をしたことがあります。
働き始める前にそこの代表者の方から「メンタルやられるぞ、君も時間の問題かもしらん。あいつには気をつけろ」
と言われて、ブラックな人材がいる会社へ潜入。
あそこの広報の仕事は大変楽でした。
しかし、化け物のようなお局様がいて、地獄なのです。
ドアを開ける前に深呼吸して合掌して(何事も起きませんように)と本気で祈ってから入室して、働くという仕事もありました。
室内に毒蛇の大蛇みたいなお局様が目の前にいて
「チッ」と舌打ちされるのは序の口で、何かと嫌味を言われて、職員の分のケーキは買っても、私の分はケーキがない!とか
そういうことも当たり前にあって、社長がオロオロそれを観てるという状況でした。
(首にすればいいのに)という話で、私に告発して問題を表面化させてほしかったようですけど、(だったら早く言ってください)という。
エクセルシートでお局様の毎日の嫌がらせをデータベースにしてありました。
実は「連合」に相談して連合から「見せてください」という話までは行ったんです。
連合に会社名は伏せて話して、その頃に、私の契約期間が切れたので、退職してしまいました。
お局退治、もう少しやれたんですけどね。
今もたまに「お局退治やっておけばよかった」と後悔することがあります。
(パワハラの本書こう!これはネタ収集だ!)と思いながら毎日過ごしていましたよ。
話を元に戻すと、今、私が総会資料を作っている団体は、
とある資産家の方から団体に大口の活動資金の寄付を頂いたので「基金設立」をしたり、
それと昨年、首里城が燃えてしまったので「首里城再建支援活動」を始めたり、
また新型コロナウイルスの世界的流行で「コロナに負けるな!キャンペーン」も始めたので、
文書作成屋の活躍する場面がたくさんありありました。
2019年年はほんとうに忙しかったです。
だけど、総会資料も書き上がりました。
ミッションコンプリート!
後はまな板に載せるだけ!!
個人の仕事で、昨日一つ締切があったのですが、まだ原稿が書けていません。
締切過ぎてしまいました。
ごめんなさい~!!
あわてろ~自分!
これから書きます~!!